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明恵紀州遺跡卒都婆 西白上・東白上遺跡
みょうえきしゅういせきそとば にししらかみ・ひがししらかみいせき
(西白上・東白上遺跡)
湯浅町には西白上(しらかみ)・東白上遺跡があり、建久(けんきゅう)6年(1195)明恵が最初に草庵を結び修行の場としたところである。約30年後の寛喜(かんぎ)3年(1231)この地の地頭湯浅景基(ゆあさかげもと)が、白上峰の麓(ふもと)に寺を建立し明恵に寄進した。これが施無畏寺(せむいじ)である。
明恵の没後、嘉禎(かてい)2年(1236)に、弟子の喜海(きかい)等がその遺徳を偲(しの)んで、明恵が修行した草庵(そうあん)の跡7ヶ所と生誕地に木製の卒塔婆を建立した。康永(こうえい)3年(1345)に弁迂(べんう)が一族を勧進(かんじん)して、石造の卒塔婆に改めた。
湯浅町には西白上(しらかみ)・東白上遺跡があり、建久(けんきゅう)6年(1195)明恵が最初に草庵を結び修行の場としたところである。約30年後の寛喜(かんぎ)3年(1231)この地の地頭湯浅景基(ゆあさかげもと)が、白上峰の麓(ふもと)に寺を建立し明恵に寄進した。これが施無畏寺(せむいじ)である。
明恵の没後、嘉禎(かてい)2年(1236)に、弟子の喜海(きかい)等がその遺徳を偲(しの)んで、明恵が修行した草庵(そうあん)の跡7ヶ所と生誕地に木製の卒塔婆を建立した。康永(こうえい)3年(1345)に弁迂(べんう)が一族を勧進(かんじん)して、石造の卒塔婆に改めた。