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鬪雞神社/6棟 世界遺産

とうけいじんじゃ

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本殿(ほんでん)(1棟)、西殿(にしでん)(1棟)、上殿(かみでん)(1棟)、中殿(なかでん)(1棟)、下殿(しもでん)(1棟)、八百萬殿(やおよろずでん)(1棟)

エリア 西牟婁エリア
所在地 田辺市東陽
所有者 鬪雞神社
国・県指定別 重要文化財
文化財の種別 建造物
指定年月日 平成29年2月23日指定
時代 江戸時代
 田辺市中心部、標高20メートル余りの仮(かり)庵(ほ)山(やま)の北麓に位置する。社殿は、仮庵山を背にして北面して建ち、東から西へ横一列に西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の6棟が並ぶ。
 神社は、祭神として熊野十二所権現を祀る。創建については不詳であるが、『紀伊続風土記』等によると平安時代後期、熊野別当職もつとめた湛快(たんかい)(1099〜1174)が、この地に熊野三所権現を勧請したのに始まるという。中世の状況も、資料が少なく不詳であるが、天正13年(1585)の兵火で境内が焼失したと伝えられ、その後、近世を通じて復興が進められた。
 本殿は、寛文元年(1661)の建立で、当時田辺を治めた安藤直清(あんどうなおきよ)(1633〜1692)が造営に関与していることが棟札より知られる。桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、檜皮葺とし、正統的かつ上質な社殿で、保存状態も良い。
 西殿は、元文2年(1737)の建立で、大工棟梁は地元の榎本五太夫宗定である。桁行三間、梁間二間、入母屋造、正面庇付、銅板葺とする。木太く雄大で、上質の社殿である。
 上殿は、本殿と同形式で、規模はやや小さい。明暦4年(1658)建立との記録があるが、様式的にはなお古い要素もある。本殿とともに、紀南地方に残る数少ない17世紀中期にまで遡る社殿である。
 中殿、下殿、八百萬殿は、いずれも延享5年(1748)の建立で、大工棟梁は西殿と同じく榎本五太夫宗定である。中殿と下殿はともに四間社流造、銅板葺とし、規模も等しい。八百萬殿は、一間社隅木入春日造、銅板葺の小社であるが、均整の取れた形態を持つ。
 以上、鬪雞神社は、田辺領主の造営になる本殿をはじめ、江戸時代前期から中期にかけて再建された主要6社殿が揃って残り、たいへん貴重である。各社殿の形式や、横一列に並ぶ配置は、熊野本宮大社の伝統形式をよく伝え、熊野信仰に係る建築を考えるうえで重要である。いずれの社殿も、部材の納まりや細部意匠に地域的特色を備え、かつ建築年代もほぼ明らかであり、紀南地方における近世社寺建築の展開を理解するうえでも高い価値を有している。

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