自由会話:備長炭の話
音源:和歌山県方言調査報告書(昭和59年度 和歌山県)
A | 男 | B | 男 |
C | 男 | D | 男 |
C ソノ ジブン ナットーナ。 カワナカノ ミチワ ドンガナン
その 頃 どうだったかね。 川中の 道は どんなの
ヤッタライ。 ギューシャグライ トーッタンカ。
だったですか。 牛車ぐらい 通りましたか。
A ギューシャトータ・・・ソージャナー。 ワシラ マー ワカイ
牛車(が)通った・・・そうだね。 私ら まあ 若い
セーネンジダイワ ナイ アノ モー ミチワ ヌケタッタ
青年時代は ね あの もう 道は 抜けていた
ナー。
ね。
C アー ソーカ ヌケタッタカ。
ああ そうか 抜けていたか。
A ヌケタアッタ。
抜けていた。
C ソイワ アノ カチグルマ(9) トールグライ。
それは あの 大八車(が) 通るぐらい?
A ソージャ。 ガッコーイ イク ソレワ マー カチグルマ
そうです。 学校へ 行く それは まあ 大八車(が)
トールグライワネー。 アノ ウンドーカイノ オリニ
通るぐらいだね。 あの 運動会の 折に
ショーガッコーノ ゴロクネンノ オリ レンゴーウンドーカイ
小学校の 5・6年の 折(に) 連合運動会
チューノ アッテンダ。 ソイカラ オマイ カワナカ
というの(が) あったのだよ。 それから あなた 川中
フタリズツ コー ナランデ テー ヒキオーテ センセーニ
2人ずつ こう 並んで 手(を) 引きあって 先生に
ツレテ イテネー。 アノ チューガッコー ウンドーバデヨー
連れて 行って(もらって)ね。 あの 中学校の 運動場でね
アノ キョーソー シテ マー アサモ ハヨーカラネ
あの 競争 して まあ 朝も 早くからね
アルイテ イクシ マタ バンガタモ アルイテ コンナンサカイネ。
歩いて 行くし 又 晩方も 歩いて こなければならないからね。
エライ シンボーシテ イマト シタラナイ。
大変 辛抱して いまと したらね。
ホンマニ ナカナカ ムカシノ コト オモタラナ ハハハハ
本当に なかなか 昔の こと(を) 思ったらね はははは
イマ ケッコーナ モンノヨニ オモワナー。
今は 結構な もののように 思うわね。
C タダナイ。 ワシ オモウノワ ソノ スミ タナベシナイエ
ただね。 私(が) 思うのは その 炭(を) 田辺市内へ
モッテ イクノニヤデ アソコ ムカシ ツリバシノ アト
持って いくのにだよ あそこ(に) 昔 吊り橋の 跡(が)
アッタワダノラ。 アイラ ミナ カタデ モッテタンヤロカ
あったよね。 あれら(は) みな 肩で 持って行ったのだろうか
タナベエ。 ソイ ノブサン ソンナ コト キーテ ナイカ。
田辺へ。 それ 延さん そんな こと(を) 聞いて いないか。
B ワシ キータルンワナイ アノ カシワギノ ソコナ
私(が) 聞いているのはね あの 柏木の そこの
コキサンノ オヤニナイ カシワギノ フミサン チュー オバ
幸吉さんの 親にね 柏木の ふみさん という おばあさん(が)
アッタンヤ。 ソノ オバーワ マンエンガンネン(10) ウマレグライ
いたのだ。 その おばあさんは 万延元年 生まれぐらい
ヤッタンヤ。 ホイテ ワシエノ オバーラモ ソノ
だったのだ。 そして 私(の)家の 祖母らも その
マンエンガンネン ウマレデナ ソイガ ソノ ナニヤ
万延元年 生まれでね それが その なんだ
フカセカラデモ ナイ ナンデモ ミナ ソノ カタデ
深瀬からでも ね 何でも みな その 肩で
ハコンダラシーネヨ。 ホイテ イッタン ナカツギ シタ
運んだらしいのだよ。 そして いったん 中継 した
トコカラ マタ ソノ ギューシャミチニ ナイ バーイワ
所から また その 牛車道で ない 場合は
ナ ナイ トコワ ミナ ソノ カタデ イタンヤテ。 ホイテ
ね ない 所は みな その 肩で 行ったんだって。 そして
イテ ソイデ ハッセングライ モーケタラナ。 ホイテ
行って それで 8銭ぐらい 儲けたらね。 そして
コメ イッショーガ ヨンセンヤッテン。
米 一升が 4銭だったのだ。
メージサンジューシチハチネンゴロニナイ。 ホイヤハカイニ ソノ
明治37・8年頃にね。 そうだから その
ケッコート (C ヤレテン。) ツロクガ トレテン。
結構に (C できたのだ。) 釣りあいが とれたの(だ)。
モチーデモナ。 ホイデニ アノ モチーワ モチーバッカリデ
(荷)持ちでもね。 それで あの (荷)持ちは (荷)持ちばかりで
タブル(11) ヒトガ ソノ ムラニ アッタンラシーワ。
食べる 人が その 村に いたのらしいわ。
(C フン フン。) ホイデニ アノ ソー ユー コト キータケド。
(C うん うん。) それで あの そう いう こと(を) 聞いたけど。
ワシラ モー コドモノ ジブンニ ナッタラ ソノ カワナカエモ
私ら もう 子供の 頃に なったら その 川中へも
ミチ デキタッタ。 ソイ ギューシャミチデナ。 ウシニ
道(が) 出来ていた。 それ(が) 牛車道でね。 牛に
ヒカイテ モッテ イタンヤ。 ホイテ コビョーデ アキズガワノ
引かせて 持って 行ったんだ。 そして 小俵で 秋津川の
コビョーデ シチジューグライ ツンデ マー
小俵で 70(俵)ぐらい 積んで まあ
イタンヤケドナ。 ホヤケド イッピョー ニセンヤッタンヤ。
行ったのだけどね。 そうだけど 1俵 2銭だったんだ。
ウンチンガ。
運賃が。
C ウンナー ニセンカ ヘヘ ナルホドナー。
うんねえ 2銭か。 へへ なるほどねえ。
注
- カマダシ
炭焼きの窯かの中から焼き上がった木炭を出すこと。 - ナイ
文中でよく使われる間投助詞。後出する用例を参考に記すと、「ワシ キータルンワナイ コキサンノ オヤニナイ オバ アッタンヤ。」ときに「ナエ」ともなる。
- カントーノ シンサイ
関東大震災。大正12年(1923)、東京都を中心に死者9万人、焼失破壊70万戸。 - ツロク
釣り合い。調和。西日本に残る古語。 - ~ガナ
形式名詞で、程度・分・値打ちなどの意。ここでは、稼ぎに相応した分という意味で「だけ」と訳した。 - ~アッタ
人に対して「アル」を使っている例で、「居る」「いらっしゃる」に「アル・ナイ」を全県的によく使い、和歌山のことばに敬語がないと言われる一因をなす。 - カタゲウマ
炭木や薪などのかなり長い木を肩で運ぶときに用いる簡単な道具。 - セン
ここでは、木材を集めるための運搬用架線をいう。 - カチグルマ
小荷物を乗せて人力で曳く車。東京で大八車、大阪でベカ車と言ったもの。 - マンエンガンネン
万延元年。江戸時代末で、1860年。 - タブル ヒト
「食べる人」。動詞の二段活用残存の形。 - ヤニコイ
ここでは、やわらかくて火持ちの悪い炭をいう。 - ヤマテ
山で働いた稼ぎ分。 - ビンチョーウマメ コマヅ
ウバメガシでつくった備長炭。ウバメガシとは、昔既婚の婦人の歯を黒く染めるのに用いたオハグロの原料に、この木の汁を用いたところより出た名で、この木を焼いた白炭はすこぶる固く火持ちが良いので評判。この炭を創めたのが田辺の備長屋長右衛門(19世紀初)だったので、備長炭といわれる。コマヅ(小丸)の「ヅ」は、破擦音〔dzu〕なので、「ヅ」と表記した。 - コメノ ハカリ
米の値段を諸物価の基準にしたのである。 - ユキャセン
「行きはしない」で、強い打ち消し形。「イカン・イカヘン」の「弱消し」に対して、「イキャセン・ユキャーセン」などは「強消し」。全県的に用いられる。 - トイヤカラノ シコミ
問屋からの炭の代価と引き換えに物品を受け取ることをいっている。 - オコ
オウコ。人の肩で運搬する時に用いる棒。用途により、形に多少の変化がある。にない棒。 - コンコ
干し大根の漬物。コーコ(香々)の第2番目の引き音節が脱落した後、さらに残った引き音節が〔k〕音節の前なので撥音化したもの。 - チョガシオーコ
オーコの中で両端をとがらせたもの。枝などを束ねたものを突きさして運ぶときに用いる。ササオーコともいう。 - クジュー
動詞。荷物を棒で背負って持つこと。2人で棒の両端を肩で持つと「ナカドル」である。