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和歌山の自然・景観

煙樹海岸(美浜町)

煙樹海岸

 

日本の名松100選(日本の松の緑を
守る会・1983年)
関西自然に親しむ風景100選(地球環境関西フォーラム・2005年)

美浜町の誰もが「自慢できるもの」としてあげる、煙樹ヶ浜の松林。幅は広いところで約500メートル、長さ4.6キロメートルに及ぶ大松林は、近畿最大の規模を誇り、その景観は煙樹海岸県立自然公園の中核となっている。この大松林がいつ頃形成されたのか、その歴史は明らかではないが、紀州初代藩主徳川頼宜公の時代(1619年頃)にはすでに「御留山(おとめやま)」として、伐採が禁じられ、保護されていた。その後、土地の人々によるたゆまぬ努力の結果、現在も見事な松林として景観を保ち、また美浜町周辺を潮害や風害から守り続けている。「煙樹ヶ浜」という名は、大正末年、探勝と制作のためにこの地を訪れた近藤浩一路画伯が、絵に描いたのが始まりといわれる。この地にふさわしい美しい呼び名である。
出典: 美浜町HP

煙樹ヶ浜は、美浜町のシンボルともいうべき海岸で、この海岸線に沿って東西に4.6km、幅は広いところで500mにも及ぶ広い松林があり、近畿では最大の松林となっている。この大松林がいつ頃できたか、その歴史は明らかではないが、紀州初代藩主の徳川頼宣の時代(1619年頃)には、保護のため伐採が禁じられたという記録が残っている。その後も、土地の人々のたゆまぬ努力のおかげで、見事な松林として、景観が保たれているのみならず、この松林の北側の町を潮害や塩害から守り続けている。煙樹ヶ浜という呼び名は、大正の末に、この地を訪れた近藤浩一路画伯(1884~1962)が、雲煙模糊とした松林の景観を見てこの名前をつけたといわれる。
【日の岬】 日の岬は紀伊半島の中央部付近にあり、最も西に突き出たところに位置していて、海面から約200mの高台となっており、紀州灘と太平洋を望んで、灯台が設置されている。ここからは、煙樹ヶ浜や御坊市を一望することができ、淡路島や大鳴門橋、また見通しの良い時には白浜あたりまでを見通すことができる。「日の岬パーク」には、1957年冬にわが身を犠牲にして徳島の機帆船の船員を救おうとして荒れ狂う海に飛び込んだデンマーク船の機関長クヌッセンの胸像や友人の灯台守を偲んだ高浜虚子の句碑などが建てられている。
自然景観としても、煙樹ヶ浜から見る雄大な松林と日の岬から望む紀州灘・太平洋は素晴らしいものがあり、「ウミネコ島」と「汐吹岩」も自然観察の場としても優れている。
出典: 地球環境関西フォーラムHP

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