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和歌山の自然・景観

高野山町石道(かつらぎ町・九度山町・高野町)

高野山町石道

 

関西自然に親しむ風景100選(地球環境
関西フォーラム・2005年)

高野山町石道は、九度山町からかつらぎ町を経て真言密教の聖地高野山へと続く180町(約24km)に及ぶ参詣の道である。約1千年前、弘法大師空海が高野山を開いた時、木の卒塔婆を建てて道しるべをつくったのがはじまりとされている。
現在見られる石造五輪塔形のものは鎌倉時代に約20年間という大事業ののちに、現在残る石づくりに変えられた。1町(約109m)おきに町石(慈尊院から伽藍まで180基、伽藍から御廟まで36基)と1里(36町)ごとに里石が立ち並んでいる。この町石道は、高野山参詣の表参道で、天皇や上皇、庶民など多くの人々が参詣の道であり、信仰の道でもあった。
町石道の途中にはいくつかの名所がある。石の下をくぐれば長く生きる事ができるという鞍掛石や、百三十六町石付近の、六本杉と呼ばれる大杉並木をはじめ、百二十町石付近の二ツ鳥居、宿場として栄えた六十町石が位置する矢立など。五十五町石の先には、お大師さまが袈裟を掛けられたという袈裟掛石、五十二町石付近には、お大師さまが雨から母を守るため持ち上げたという押し上げ石、二十七町石付近には、表面が鏡のようになめらかで、石の上で真言を唱える者の願いをかなえるという鏡石などが、新緑や道ばたの草花と共に、単調な長い道のりのアクセントとなって、人々の疲れを癒す役目を果たしている。

・自然景観: 紀の川の遠望や200基あまりの町石、高野の町並み
・歴史遺産: 平安時代から続く歴史ある信仰の道
・伝統文化: 御田祭・花盛祭・六斎念仏(かつらぎ町天野)
出典: 地球環境関西フォーラムHP

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