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熊野本宮踊り(ハイヤーハー踊り)
田辺市(本宮)
地元で「ハイヤーハイおどり」と呼ばれる。囃子言葉が「ハイヤーハー」だから、こう呼ばれだした。
「花の江島(えじま)」ともよばれている。
昔は、先祖供養のために踊っていたが、現在ではお盆行事の一つとなって、継承されている。
毎年8月13日から15日まで、3日間の夜間に、本宮町上地の上地集会所の前庭で(雨天には集会所の中)踊る。
以前は、大斎原(おおゆのはら)でも踊っていた。
集会所の上が、元の菩提寺跡で、地域の墓所があり、盆踊りには最適の場所である。
音頭取りと太鼓のリズムで、扇か団扇をもって、ゆっくりと踊る。
旧本宮村に伝わる踊りで、口説き(歌詞)の内容から推察すると、江戸時代に起きた、江島、生島の恋愛事件(1714年)(徳川7代将軍家継の生母月光院に仕えた、大奥女中の江島と、歌舞伎役者の生島新五郎の不祥事件)を背景に、江島をたたえた文句となっている。
踊りは、王朝文化をしのばせる、ゆっくりと流麗な舞の雰囲気がある。
当初は、熊野詣での中で、京の都から伝わって、この地に根付いたものと思われていたが、時代的にも誤差があり、調査したところ、文化、文政以降(1800年代)当時の社家であった、玉置 縫が盛況を極めていたころ、浪速の芸者、登美を身請けして、当地に住まわせていたことが判明。その後、嘉永6年(1854年)に、玉置 縫が失脚して新宮の水野藩に幽閉され、登美は音無しの里(現当地)で、舞や三味線を教えた文献も出て来、そのころに、習った舞が、この地に盆踊りとして定着したと、推察されている。
150年の歴史ある踊りで、平成6年に、本宮町無形文化財に指定されている。
平成6年に熊野本宮盆踊り保存会が結成された。 昔は、音頭、太鼓、笛があったが、終戦後は、笛の名手が亡くなり、後継者が育たなかったため、音頭と太鼓だけになった。