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和歌山の祭り・年中行事

淡島神社の雛流し

和歌山市(加太)

「 雛流し」と呼ばれる。和歌山市加太(淡嶋神社~海岸)で3月3日(新暦)に行われる。

もともと中国で3月3日、または3月上巳に水辺にでて祓いの行事を行なう風があり、それが日本に伝わったもの。
雛形に罪・穢(けがれ)を託して流す祓いの儀礼であったのが、人形が装飾的になり、女児の祭りとなり、平安末期頃から3月3日に固定、雛壇が一定の形式をととのえてきた。
中国地方や近畿地方で、雛祭りの終わりに人形を川や海に流し、その他の地方で道の辻の祠などに人形を納めるのは、雛を流す本来の意義を伝えている。
3月3日や4日に、磯や川原、山などに出て、一日を遊ぶのは、祓いのために家を出る日という信仰によるもので、現在は娯楽化している。

<雛納祭>
12時;①修祓の儀(清めの御祓)、②神饌の儀(お供え物を神に捧げる)、③宮司祝詞、④神饌を撤す、⑤宮司一拝
12時半頃;⑥形代を舟につむ、⑦雛を舟につむ
12時40分頃;⑧信者(参拝者)により舟がかつがれ、雛流しを行なう場所まで運ばれる。
<雛流し祭>
1時10分頃;⑨修祓の儀、⑩宮司祝詞、⑪巫女により、桃の花・菜の花が舟につまれる。
1時20分頃;⑫白木の舟を流し、その時千羽鶴が巫女によりまかれる。

仁徳天皇が淡嶋に御幸し、友ケ島から、今の加太の磯間の浦に遷し、祀られた日が、仁徳5年3月3日であった。 お雛様を船に乗せて流す雛流しを行い始めたのは、昭和37年から。

昔は、船が2艘であったのが、平成3年から3艘に増えた。人形供養は江戸中期から行なっていたらしい。
昭和40年から人形以外の大切なものの供養も始めたが、顔のついたものを限定している。この頃(昭和40年)から、人形を川に流してしまわずに、引き上げるようになった。

人形や形代(かたしろ)等は雛流しの終わった日から1年かけて集める。
1年中に集まった人形を雛流し神事の2、3日前から、境内に並べる。

形代(かたしろ);祓をするときに人間の身代わりとしてつかう人形)。この紙の人形で身体をなで、また息を吹きかけ、諸病そのたの災害を移して、祓の神事の後、河海に流し捨てる。

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