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日限地蔵尊の餅まき
海南市(鳥居)
日限(ひぎり)さんの餅まきと呼ばれる。
地蔵堂には、聖徳太子作と伝えられる地蔵菩薩尊像が安置され、地蔵菩薩の命日とされている毎月24日に会式が行われている。餅まきは、春の会式の一つである。
仙臺山浄土寺 日限地蔵尊において、4月24日午後3時くらいから1時間程度行われる。
健康祈願、厄除けなどのため、行われる。
昭和40年過ぎまで、餅は毎年、檀家である地元の造り酒屋/㈲松本武一郎商店で作られた。造り酒屋ということで、米を洗ったり蒸したりする道具は揃っていた。乾かして堅くするため、餅まきの一週間くらい前についた。近所の人が寄り集まり、朝早くから一対の杵と臼でついた。色んな大きさの餅が作られたが、大きいものは、直径50㎝、厚さ7~8㎝もあり、朱色で厄払いの人や、寄付をした人の名前が書かれた。日用品や食品に引き換えられる「引換券」を餅の中に入れたりもした。
檀家の代表などが、組んだやぐらの上からまいた。大きい餅は遠くに投げられないので、やぐらの近くには頑強な男の人達が待ち構え、けんか腰で奪い合った。いったん手にしても、横から奪いに来るので、取られないよう抱えて逃げた。階段のところまで逃げる人もいた。(写真①)何人もの人で取り合うので、餅は割れ、大きいままで持ち帰るということはまずなかった。
地蔵さんの下の道(写真②)は通行止めになり、たくさんの露店が出た。子供用の面、金魚、みりん粕、綿菓子、植木、色んな絵が描かれた和傘などが売られた。
昔は「けんか餅まき」と言われたほど、殺伐としたものであった。数万人ともいわれる人出があり、人と人の間に隙間がないほどだった。
戦後は、「男の人」と「女の人・子供」を分けて餅をまくようになり、だんだん穏やかになっていった。男の人には階段を上った右側の広場で、女の人・子供にはそこからさらに50㍍ほど坂を登ったところの舞台のある広場でまかれた。男の人の餅まきが終わってから女の人・子供の餅まきを行う場合もあれば、同時に行うこともあった。
30年ほど前からこの餅まきは中止されている。
この日は地域の小学校も昼から休みで、泉南を初め(泉南には信者が多かった)、遠方からもたくさんの人が来た。
また、この餅まきは地域の大きな祭であったため、地元の人は知人を招待した。
「それはすごい人出」だったという。