現在表示しているページ
ホーム > 和歌山の祭り・年中行事 > 梅中傘踊り

和歌山の祭り・年中行事

梅中傘踊り

傘踊り

 

紀美野町(小川)

地元で「傘踊り」と呼ばれている。
昭和62年 町指定無形民俗文化財に指定。
梅中とは、梅本地区と中田地区を合せた呼称である。

文政6年(1823年)、大旱魃によって百姓一揆が起こった。野上地方の農民もこれに加わったが、高野山領小川庄の農民は一揆に加わらなかったので高野山から褒められ、これを機会に雨乞い踊りが踊られたと伝えられている。
一方、その昔、梅本地区と中田地区は、田に引く水の取り合いでけんかが絶えなかった。それ故、男女が同じ傘に入って踊りを踊ることで仲良くなれれば…と、この傘踊りが始まったとも言われている。
もともと梅中傘踊りの歌詞は、艶っぽいものであった。踊りも足を中心としたもので、男女が一つの傘に入り、足をまとわせながら踊っていく色っぽいものであった。

聞き取り調査対象者が小さい頃は、盆踊りとして傘踊りを踊ったとのこと。「雨乞い踊りとして傘踊りを踊った記憶はないが、昔は傘踊りを踊ったらよく雨が降ったと聞いた。」とのこと。
戦時中は中断されたが、昭和23年に再開された。
ナイロン等の人口繊維が世に出始め、産業構造が変わってしまったので、林業や棕櫚製品を主としたこの地域の産業は厳しくなってきた。若い人たちは、仕事を求めて町を出るようになり、この踊りも中断せざるをえなくなった。
昭和52年、老人会が中心となって参加者を募り、踊りを復元していった。
それまでは梅中(梅本・中田地区)で踊っていたが、梅中だけではできなくなり小川地区全体で取り組み始めた。
昭和60年、「小川郷土芸能保存会」が設立された頃、ジュニアにもこの踊りを継承させるにあたり、艶っぽい歌詞の内容は変更された。
現在は、この踊りを継承することを目的に、踊っている。

【踊り方】
男女2人が一組になり、男が左側、女が右側に並んで1本の傘を持つ。男は左手を腰に当て、女は手ぬぐいを被って両端を口にくわえ、右手を軽く振りながら、唄・三味線囃子に合わせて、輪になって踊る。
【活動】
小川郷土芸能保存会及び小川郷土芸能保存会ジュニアサークルがある。共に、毎月一回公民館で練習。
紀美野町文化祭や高野西街道伝統芸能まつりin紀美野町など、年に1~2回イベントに参加。
平成6年には世界リゾート博(野上町の日)で公演。
平成11年には南紀熊野体験博で公演。


このページのトップに戻る