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和歌山の祭り・年中行事

満福寺の餅まき

満福寺の餅まき

紀美野町(神野市場)

地元では「このでらの餅まき」と呼ばれている。このでらは神野庄の寺という意味。

厄除け(本来は、初午のおいなりさんの行事)のため、 満福寺の境内(紀美野町神野市場52)において、 旧暦の初午(旧暦二月の最初の午の日)に実施される。

福田・神野市場・樋下の3地区(以前は17地区)がそれぞれにお餅をつき、地区内を練り歩きながらお寺に奉納する。その時、有志の女性の方々が「よつぎやりの唄」を唄う(この唄は、神野市場では結婚式や家の棟上げなどのめでた事に唄われる)。
お寺で平安時代からのお経(大般若経)をあげ、厄除けの祈願をした後、境内で餅をまく。
15俵(2升の臼にして500臼以上)ほどあり、餅は、大きいもので一枚20kgもある。
餅には「厄除け」「交通安全」「商売繁盛」などの願い事が赤色や緑色で書かれている。
厄除けをする人は各家々でもお餅やお菓子をまく。福田地区から順番にまきながら、お寺に向かう。奉納餅は奉納餅で別に地区を回って、お寺に運び奉納する。3時くらいにお寺の境内で奉納餅の餅まきをし、それからまた樋下のお餅をまく家の方に向かう。 奉納餅の餅まきには、多いときは500人くらいの人が集まる。

初午の日に、お寺に参るようになった由来は、江戸時代の寺子屋の入学式が初午の日だった。子どもの入学式に付いて行ったある老婆が、奈良の岡寺にお参りしたところ御利益があったので、それから初午の日に入学式も兼ねてお寺に参るようになった。

お餅は、以前はみんなで担いで奉納したが、今は車を使うようになった。 以前は境内の奥の田にまで人が流れていき、その田が水の張った沼田だったので、ドロドロ・グツグツの中で餅拾いをした。今はその田はなくなっている。

 

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