現在表示しているページ
ホーム > 和歌山の祭り・年中行事 > 御崎神社の例大祭

和歌山の祭り・年中行事

御崎神社の例大祭

御崎神社

 

美浜町(和田)

地元では、「和田祭り」と呼ばれている。

五穀豊穣への感謝のため、行われている。

御崎神社、煙樹ヶ浜のお旅所で、最近は10月の第4土・日曜日に開催されている。

<宵宮>   
午後三時から四地区の宵宮祭の獅子舞奉納の後、各組の代表者参列による宵宮祭典の神事が行われる。 日が暮れてからは、褌に裸、裸足で弓張り提灯を持ってお宮に参る裸参りが行われる。 お参りに際しては、腰に注連縄を張り、海の潮をかぶったり、井戸の水を浴びて身を清める。 毎年、裸参りは少なくなって来た。
<本宮>  
午前十時から代表者参列による神事が行われ、屋台、山車の宮入りが続く、舞獅子は和田の4組、本ノ脇、入山の各組から出る。 
和田の獅子舞いは、地舞い、二度返し、ごしゃく、いもくいの順に舞う。本ノ脇は、地舞い、二度返し、はいおい、ほんごしゃく、ちゅうりゅうとん の順である。入山は、地舞い、土払い、江戸囃子、砂まき舞い、ごしゃく、乱獅子の順である。
獅子舞いは頭持ちと後の2名で行われるが獅子の舞い手のことを獅子舞いという。鬼獅子は和田祭りの中で最も重要な役割をになっていると思われ、獅子と王仁(鼻高)、和仁(びしゃ)で組織されていて、演じる内容は恋の葛藤である。
獅子は王仁の気を引くことに懸命で和仁を嫌う。鬼獅子の踊りは最初、獅子は王仁、和仁と向かい、次に位置が変わって背中合わせとなり、三度反る。続いて三度参り、そして十六遍の横振りを行う。臭いかぎを三度して、噛もか噛もまいかをやって王仁、和仁が入れ替わる。次に右向け左向けをやって、いも掘り二回、次に みそすり に入って六遍の横振りとなる。
山車は東、東中、西、西中にあり、だんじり曳き、だんじり方は若衆が行う。何れも祇園囃子で曳かれる。 東、東中のものは、笛、鉦(4人)、太鼓、胴太鼓が囃子方として乗り込む。 西、西中のものには笛が無く大太鼓、小太鼓、大鉦、小鉦である。
この山車には各組に1人ずつ額持ちが加わり、額は組印で、「今月今夜」「雷大明神、日御崎神社」などと書かれている。
山車に乗せる人形は各組で工夫して作ることになっている。 
その後、お渡りの出発になり、榊は和田4組から2名ずつ計8名の使丁が持つ。賽銭箱の担当者の子供2人は、「ドンドン、カッカッカ」と太鼓を打ちながら賽銭箱にお賽銭を入れてくれるように催促して廻る。
神輿は「エーロクヤ」の掛け声でお旅所に向かって渡御をする。 お渡りの順番は、幟→神馬→榊→王仁→神輿→和仁→子供神輿→鬼獅子→屋台→山車→四つ太鼓の順である。
神輿はお旅所に落ち着く前に、いったん海辺に行って潮かけをする。また、屋台は渡御途中で地面におろしてはいけない。 囃子は渡り笛、渡り太鼓であり、伊勢音頭はお戻りの時だけ歌う。お旅所での神事を終え、午後四時ごろから宮に戻って解散となる。尚、四つ太鼓は最近になって参加するようになり、鳥居内の神事には認められていない。


御崎神社の例大祭は旧暦11月の申酉の日に行われたので、申酉祭りとも言われていた。
今のような形になったのは、別名 タカオミヤ とも言われる雷神社を明治42年に合祀してからのことである。 それ以前のことは分かっていない。
行事について、戦前には40頭もの馬が、有田や田辺辺りから馬駆けに参加して盛大な催しであった。今は幣を立てた神馬1頭だけになっている。 
4地区の四つ太鼓が最近参加するようになった。

このページのトップに戻る