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和歌山の祭り・年中行事

大顔神社祭(天満祭)

有田川町(吉備)

地元で、 「まつり」「大顔さんの祭」と呼ばれる。「藤並神社まつり」というものもあるが、有田川町吉備奥地区の方々はほとんど「まつり」「大顔さんの祭」と言っている。
毎年10月9日に、藤並神社→大顔神社→藤並神社で行われる。
(藤並神社;有田郡吉備町天満722 大顔神社;有田郡吉備町奥(おき)186番地)

豊作祈願・村の安全祈願と「林俊久」さんへの感謝の意も込められている。

9時から藤波神社にて祈願祭が行われ、12時ごろから藤並神社から大顔神社へ御渡りして、大顔神社に到着すると還幸をし、その後大顔神社から藤並神社へお戻りになる。騎馬武者の列、その間に各大字(約11の字)のだんじり太鼓と笛が続き、三面楽が、日頃の稽古の芸を見せ、子供神輿があったり、立派で大きな神輿を若い衆や中老の人々に担がれながら勇ましい掛け声を掛けあってお渡りをしたり、またお渡り中、要所要所で太鼓や獅子舞の披露をしたりする。そして17時頃、藤並神社に戻ると、「掛け鯛」を投げるようである。

昔から行われているが、鎌倉時代に「林俊久」という郷村の長が、年貢を軽くしてと直訴しに鎌倉まで行くが、重罪とみなされ首をはねられた。そのはねられた首は濃州青ケ原に拷問として置いていたが、首から大蜂が出てきてそこを通る武士や大名など位が高いものだけを攻撃すると聞きつけた将軍は、恐ろしくなり年貢を免除したという。首も吉備の奥地区へ帰され、大顔神社に祀られたという。林俊久さんの顔が大きかったから、「おおかおさん」と将軍に言われたらしく、神社の名前も「大顔神社」や「おおかんさん」という話もある。その頃から、この祭りも始まったという。

昔は各字に馬宿があり鎧武者があり、騎馬行列があった。今は騎馬行列がなくなり、鎧は各字の公民館で保管し、展示している。獅子舞(4人)、おに、わに、おたふくの最低7名は変わらないが、昔は青年団がしきってやっていたが、今は人数が足りないので40代の昔は青年と言われないくらいの年代がやっている。だんじり太鼓なども各字にあったものが今では各字に1台もないため、現在は4~5台だと思う。
また、祭り当日は親類縁者に関わりなく 家などにご飯を御馳走になりに行ったが、いまではそういうこともないと思われる。

 

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