現在表示しているページ
ホーム > 和歌山の祭り・年中行事 > 柱松

和歌山の祭り・年中行事

柱松

すさみ町(佐本)

地元で、「柱松(はしらまつ)」と呼ばれる。

江戸時代後期の1787年(天明)から2年間、夏になると疫病がはやり、多くの村人が死亡したことから、その供養と無病息災を祈願して行われるようになったと伝えられている。
すさみ町佐本根倉の佐本川・平野淵河原において、8月15日に行う。
以前は、8月16日であったが、人手不足と帰省客が帰らないうちにということで、8月5日に変更した。

≪順序≫
①松明づくり
柳などの弾力のある50センチくらいの枝を用意し、それを取り巻くように20センチくらいの松の木(たいまつ)を付けて二か所を針金で束ねる。これに1mの紐をとりつけておく(沢山作る)。
②巣作り
四方に五本の枝を伸ばした松の木(1.5m)に蜘蛛の巣のように縄を張りその上に藁束を鳥の巣のように重ね置き動かないようにしばりつけて、真ん中に御幣を立て、周りに花火を配置する。下に藁を七か所、五か所、三か所結んだ所謂七五三という、藁の飾りをつける。
③大人用、子供用の二基の巣を杉の柱に取り付ける。
④17mと10mの柱を垂直に立てる。
⑤背丈ほどのところに、榊の枝を付け、お神酒、塩、魚等を供えて手伝った全員でお詣りをし、健康と幸せ、柱松行事が無事にできる祈願をしてお供えのお神酒をいただいて立ち上げ儀式を終了する。
⑥火祭り
火が暮れると、松明を投げる若者や少年たち、見物客が集まってくる。河原ではたき火が焚かれ、開始の太鼓が打たれ、これを合図に松明に火をつけて頭上に高く上げ、右回りに柱松を3巡する。廻り終わると又太鼓が打たれいよいよ松明の投げ上げが始まる。最初は子供たちや下手な者から投げ始めるが、なかなか巣に届かず苦心する。 巣に火が入ったら、火の粉が舞いあがり、花火が上がり夜空を焦がす。御幣が燃え、下の七五三に火が回るころには、巣は火の玉になる。頃合いを見計らい、指揮者が柱松を倒す合図をし、掛け声とともに柱松が倒れる。 この、倒れ落ちる火の粉もまた見どころ。
⑦後始末と酒宴
見物人が引き揚げたのち、若者たちで、柱の片づけ、松明の燃え残りを始末し、会館に集合して、時間制限なしで酒宴を繰り広げて、お互いをねぎらう。

天明7年、8年2年続きで、疫病がはやり、村人や多くの子供たちが亡くなった。
そこで、「お盆に18尋(ひろ)(1尋=約1.5m)の高火を捧げますから、神仏のお力により、疫病から子供たちを守ってください」と願掛けをしたのが始まりで、220年前から伝わっている伝統的な行事。
昭和30年代から約20年間途絶えたが、昭和58年に佐本親子クラブが復活させ、現在は、佐本川柱松保存会で伝承しているが、存続が危ぶまれている。

柱松の長さについて、昔は26mくらいのあったが、いまは17m(松明が巣まで届かない。力が弱くなったのか)。
竿を立てるのは皆、人力であったが、今は重機でやっている(人手不足とけが人が出ないように。との配慮から)。
松くい虫の被害が大きく、松明づくりが難しくなった。
巣の藁は昔は麦わらであった。

 

このページのトップに戻る