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和歌山の祭り・年中行事

柱松

田辺市(江川)

地元で、 柱松(ハシラマツ又はハシラマツリ)とも呼ばれる。
8月15日に海難者の供養、新仏の供養、これらによる海上安全を願い、盆の送り火として行われていた。
昭和36年までは、主に大浜(扇ヶ浜)で行われ台風のうねりが等があるときは戎の鼻で行われていた。昭和37年~44年までは田辺高校校庭、平成13年~20年までは江川漁港埠頭埋立地で行われていた。

≪順序≫
この行事は、海難者、新仏の供養の送り火であるため、昔から海辺の近くで行われていた。
8月15日昼頃から、まず地面に2メートル位の柱を立てるための穴を掘り(平成13年以降はショベルカーを使用)、次に柱作りを行う、柱作りは、2本の長さ約10メートルの太い丸太(大正以後は電柱を使用したこともある)を縛り合わせ、その先端にカリ首と呼ばれる枯松葉を詰め込んだカゴを取り付けた心木(約6メートル)を継ぎ足し、頂上に御幣を付け花火を仕掛ける。
こうして出来上がった柱松を漁協組合員が約100人参加してエーサラジャ節(漁師が船を砂浜から出す時に力を合わせるため歌う唄)と言う唄を音頭にあわせ歌いながらロープを引いて立ち上げる(平成13年以降はレッカー車を使用)。
柱が立つと四方にロープを張って柱松を固定する。
夜8時頃より松明投げとよばれる周囲より点火した松明を、柱松の頂上めがけてほうりなげ点火していく行事が行われる(投げ手は片町の青年会、平成13年からは一般者からの募集と地元常連)。一番火、二番火には賞品があるためこぞって点火を競い合い、柱松に火が灯され盆の送り火となる。
平成20年を最後に現在は行われていない。

柱松行事は戦時中に一度途切れ、戦後から昭和44年まで続けられていたが、田辺高校移転に伴い開催されなくなった。平成13年の柱松保存会、実行委員会の結成により復活をとげ平成20年まで開催されたが、現在は行われていない。
昭和32頃より柱松頂上に花火を仕掛け松明があがると花火にも点火打ちあがるようにした。
昭和44年までは漁業関係者のみで行われたが、平成13年より復活した時以降、準備は柱松保存会実行委員会で行い当日の投げ手には一般者より募集をし参加が出来るようになった。
平成13年以降は柱松の穴掘りと柱立てが人力によるものから、ショベルカー、レッカー車を使うようになった。

 


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