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和歌山の祭り・年中行事

天神祭

古座川町(高池)

地元で、天神祭り(天神さんの祭り)と呼ばれる。
古座川と並行してその間に高池下部区を囲うように南北にのびる里山の最南端(高池163-7)の崖の上で行われていたが、現在(平成4年より)神戸(こうど)神社前の芳流館互盟社において、 毎年春、4月第1・第2日曜日の古座川町の「さくらまつり」が行われない日の日曜日(以前は4月3日)に行われる。

天神をまつる以前から山の神をまつるほこらがあっただろう。
山の神が春には村里におりてきて田の神になるという信仰があり、どこでも山から村へ下りる尾根には山の神をまつる社がある。江戸期からのことと思われるが、これに祖先神としての人格神を各地から分霊を迎えてまつるようになった。
五穀豊穣の祈願と庶民の親睦を兼ね合わせたお祭りである。

当日朝から代表者宅からご神体を互盟社の祭壇に移し供物と共に飾り付けして、その前に厄年名簿厄払いのお酒(2合)かさね餅を、両脇に餅撒き用の餅・菓子などを並べる。
1.ご祈祷;午前9時祥原寺和尚を迎え、厄年の人・区民参列のもと行う。         
終了後、厄年の人たちにお供えの餅など渡す。お寺へのお礼のご祈祷料・料理・餅・清酒を持参する。
2.宴会(直会);10時より11時30分ごろまで宴会。
3.餅まき;正午を合図に餅撒きを行う。
4.座払い;行事終了後当番の人は適宜座払いを行う。

江戸時代徳川幕府はキリスト教を禁じ神社や寺まいりを奨励し祖先神として人格神を各地から分霊を迎えてまつるようになった。紀南では元禄6年(1690年)ごろ大阪の天満社を勧請したというから高川原の天神社(祭神菅原道真公)もそのころ勧請したものと推定される。4月3日に祭典するのは昔から中国の店で旧3月3日桃の節句に村人が山祭りして宴遊をする習慣があり、それが日本にも伝わり庶民が旧3月3日に酒肴をたずさえて山遊びした。 それが新暦になって4月3日に改められた。

昔は山で祭りを行った3月下旬になると子ども達は天神山に登り家族が座れる広さに土砂をならし雑木の小枝をあらけて休む場所を造る。祭典当日ご馳走を入れた重箱を持って登り、皆で食べたものである。時代が移り変わると共に生活環境も変わり山登りの人も少なくなる中平成2年9月の台風により参道が寸断され平成4年から芳流館互盟社で行うことになる。

 

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