広川町(広)
地元で「津浪祭」と呼ばれる。ただし、過去には「津波祭」と広川町誌には書かれていた。
平成22年度までは11月3日に行われていたが、平成23年より津波防災の日に定められたため、11月5日に変更となった。
広市場の波止(感恩碑前)と
広村堤防前の広港港湾敷地内で実施される。
町内の平穏無事と過去の津波により犠牲になった人々のご冥福をお祈りするとともに、再びこのような事がないようにと、住民の生命と財産を津波から守るため、私財をなげうって大堤防を築かれた、広川町の浜口梧陵・浜口東江・岩崎明岳さんたちの遺業に感謝するとともに、その道徳を永遠に伝承するため行われている。
午前中式典が始まるまでに、地元の方々や広小学校児童、耐久中学生徒によって、堤防への「土盛り」が行われる。「土盛り」とは、本来は村の衆が堤防の補修を目的に、新たな土を堤防に入れて、堤防を補修していた。現在は形式的になり、前日に学校の校庭に土を持ってきておいて、当日の朝、ナイロン袋に土を入れ、堤防に土をかける形式的なものとなっている。
式典は、地元の八幡神社の宮司により、神事が行われ、続いて祭主である町長が道路を挟んで会場向かいにある感恩碑に献花するとともに、一同拝礼する。その後、祭主、来賓者のあいさつ、電報などの披露をして終わる。
平成22年度津浪祭式次第は以下の様である(9:00~午前中で終わる行事)
①修祓(しゅぱつ)の儀
②降神の儀
③献饌(けんせん)の儀
④祝詞奏上
⑤切麻散米(きりぬささんまい)
⑥玉串奉奠(たまぐしほうてん)
⑦撤饌(てっせん)の儀
⑧昇神の儀
⑨方転転換(感恩碑に向かう)
⑩感恩碑へ献花し拝礼
⑪方向転換(元の状態に戻る)
⑫広川町長あいさつ
⑬来賓者の挨拶
感恩碑は昭和8年12月に建てられた。
安政元年(1854年)の大津波から50周年にあたる明治36年12月13日、大津波で犠牲になった人々の霊を慰め、また、堤防を築いてくれた浜口梧陵さんたちの遺業とその徳をしのび、広村の有志が会合し、この50回忌を記念して、毎年旧暦の11月5日に堤防への土持を取り決め、「津波50回忌」を営んだのが由来と言われている。
昔は旧暦の11月5日に行われており、早朝に堤防へ土持作業を行っていたとのことである。今は、児童たちによる形式的なものとなった。
献花であるが、平成12年までは耐久中学校校庭にある浜口梧陵銅像に献花をしていた。また、以前は銅像の前で餅投げや津波に因んだ催物などを行っていた。なぜ、今は会場が違うかはわからないが、「ふるさとまつり」という以前から行われていた祭りと津浪祭を一緒にやることもあったため、それから形式が色々と変わったのではないかと思われる。
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