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和歌山の祭り・年中行事

由良八幡神社 祭礼

由良八幡神社

由良町(里)

地元では「由良祭」と呼ばれる神事と神様の魂を慰める余興。
宇佐八幡神社(由良町里169番地)、お旅所(由良町阿戸1002番地)において10月17日に行っていたが最近は10月の第3土、日曜日に実施している。

10月17日(近年は第3土、日曜日)に宇佐八幡神社で行われ、旧由良町9区の氏子が参加する。御渡が行われるお旅所も、宇佐八幡神社のお旅所から網代の海岸などに移り、国主神社のお旅所から現在の阿戸へと変わった。  
祭りに奉納される横浜、阿戸、網代、江の駒の獅子舞は伝統があり、長く競演されており近年、里、網代の子供獅子舞が加わって華やかになった。 
本祭当日は、午前八時ごろ横浜の馬場筋と呼ばれる四つ角に屋台(形)、子供の山車が終結、九時ごろの宮入に屋台の行列が続く。  お宮に入ると競り合いといわれる屋台と屋台のぶつかり合いが始まる。 屋台の大きさは地区によって違うが、日高郡では最も大きい方であり、長載棒と呼ばれる角棒を縦横に組み合わせているので、全長約六メートルを超える。 その競り合いは豪快である。   
最初に阿戸の幟指しが行われ、境内の所定の場所に待機して、各地区の奉納行が行われる。  
獅子舞は各地区とも二人立ちで、笛・太鼓・小太鼓・ちゃみせんで囃す。太鼓打ち服装は十数年前からの申し合わせで統一されており、黒っぽい法被、股引、手甲、白足袋、紅白鼻緒草履に鉢巻き姿と決まっている。 屋台の担ぎ手の服装は白い長袖シャツを着て ネルの腰巻き姿で華やかな色物の長襦袢を着る。  
各地区の目印として横浜はダイダイ、阿戸はピンク、網代は黄色、江の駒は青、里は緑、南がエンジの鉢巻きをすると決められている。
奉納行事は九時ごろから ①横浜の獅子舞 ②里の獅子舞(子供) ③網代の獅子舞④江の駒の獅子舞 ⑤網代の獅子舞(子供) ⑥阿戸の獅子舞 ⑦南の踊りの順で行われる。横浜と里の獅子舞の警護を終えた横浜の鬼鼻(オニ・ワニ)が里の「お弓」 を迎えに里集会所へ立つ。横浜の後は網代の鬼鼻が警護を努め奉納が終わる。
鬼鼻に迎えられて里のお弓の行列が社務所に着くとお弓、宮総代、祭典会長など参列して拝殿で神殿式が行われる。 
午後一時過ぎから阿戸のお旅所へ御渡りが行われる。行列は鬼鼻を先導に榊・物・御輿・宮司・お弓・各地区の屋台などの行列が馬場筋を通り、1.5キロ先のお旅所まで続く。 午後三時過ぎからお旅所で、幟指しが行われた後、各地区の屋台が所定位置に着き、順序を変更して ①阿戸の獅子舞 ②網代獅子舞(子供) ③江の駒の獅子舞 ④網代の獅子舞 ⑤里の獅子舞(子供) ⑥横浜の獅子舞が奉納される。 
各地区の獅子舞が終わるのは午後六時ごろとなり、御輿がお宮に戻るのは夜の七時過ぎとなる。 後に屋台が続き、馬場筋で別れの競り合いが行われ、横浜の獅子舞だけは宇佐八幡神社で最後の奉納舞をして祭りは終わる。  
【お弓について】   
由良祭における里のお弓の立場は大変重要で、祭礼に先立ちその年のお弓の式に仕える人を里の区長が、先達1名、射手1名、的持1名、幣持1名、お弓6名、潮かけ2名以上12名の指名、役割を決める。  
弓立式 (前日)  
宮総代、区長 以下役員が神社において幟立ての後、神社に保管されている弓を受け取り、里集会所に注連縄を引きめぐらした部屋にお飾り(弓矢・的・本的・幣)を作り 床の間に立てる。 玄関には高張り提灯を立てる。  
出立式 (当日)    
<お迎え>横浜の鬼鼻が宇佐八幡神社から迎えに来る。玄関口で一同整列して迎えの口上を受ける。
<出立の盃>昔は二の膳、最近は幕の内を用意する。
<出立の的打ち>玄関前で、的に三回射手が矢を放つ。
<服装>先達⇒羽織、袴、白足袋、下駄、扇子。 射手⇒紋付着、赤陣羽織、白足袋、下駄。 的、幣⇒羽織、袴、白足袋、下駄。 弓⇒裃、白足袋、下駄、弓矢。

現在地での儀式は鎌倉時代の永仁4年(1296年) ごろ、獅子舞は江戸時代の初期、今から360年位前の元禄期と思われる。
明治41年の合祀で大きな二つの神社が一つになった為、儀式も余興も変わった。その後、お旅所も何度か移動して現在に至っている。

 

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