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和歌山県の民話

与門三郎(よもんさぶろう)

出典:わたしたちの桃山町上巻

発行:桃山町教育委員会

秋晴(あきば)れの、高くすみきった空に、チリンチリンと鈴の音(ね)をひびかせて、ある屋敷の門前(もんぜん)に、一人の僧が立ち止まりました。衣の色もうすくなり、すげがさも重たそうで旅の僧は大変つかれているように見えました。
「巡礼(じゅんれい)に、なにぶんの御報謝(ごほうしゃ)を。」
の声に、出て来たのは当家の主人、安楽川(あらかわ)近郷(きんごう)の領主(りょうしゅ)、与門三郎(よもんさぶろう)でした。領内を見回るため、数名の家来(けらい)を引き連れて、ものものしく出て来たところでした。
しかし、なに思ったか、家来に命じて旅僧(たびそう)を追いはらい、ゆうゆうと出て行くのでした。旅僧はしかたなく立ち去って行きました。
それから数日後、旅僧は、ふたたび門前に現われ、「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と熱心にお念仏(ねんぶつ)を唱(とな)えていました。これを見た与門三郎は、手にしていたつえをふり上げて、僧が持っていた、托鉢(たくはつ)の椀(わん)をたたき落としてしまいました。椀は地面に落ち、八つに割れて散らばってしまいました。
そのことがあってから、与門三郎の八人の子どもたちは、毎日毎日一人ずつ、原因のわからぬ病気で死んでいきました。
最後の一人を看病(かんびょう)しているとき、ある晩、うたた寝のまくらもとに現われたのは、いつぞやの旅僧でした。与門三郎は「はっ」と眼がさめて、自分が今まで仏を信仰(しんこう)しなかったことを、深く後悔(こうかい)しました。
八人の子どもたちをなくした与門三郎は、狂人(きょうじん)のようになって、家も領地も捨てて大急ぎで、先日の旅僧を追って行きました。しかし、どこをたずねても、旅の僧は見当らず、つかれきった体で四国にわたり、八十八か所めぐりを始めました。
すると、まもなくあるお寺で、弘法大師(こうぼうたいし)にお会いすることが出来ました。与門三郎は、今までの自分の行ないを後悔し、
「仏につかえたい。」
と、涙を流してお願いしました。
大師は、じっと聞いておられましたが、
「そなたの志(こころざし)は大変よろしい。けれど、人間みんなが僧になる必要はない。それぞれ、自分の仕事をまじめにすることが、やがて、仏の教を守ることになる。」
と言い聞かせ、家に帰るようにすすめました。
与門三郎は、大師の教えを守って領地に帰り、よく領地をおさめ、一生けんめい仏を信仰し、一生をおくったということです。
今はさびれて、ほとんどなくなってしまいましたが、桃の名所、段新田(だんしんでん)の南の山に新四国八十八か所がつくられたことがありました。そのとき、新四国第十二番に、この与門三郎をおまつりしたということです。

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