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和歌山県の民話

雨引山(あまびきやま)

出典:高野口町史下巻

発行:高野口町

昔紀の川の川舟もまだ見られない大昔のことである。この辺一帯に例のない日照(ひで)りが続いた時のことだ。連日のかんかん照に畑の作畑も枯れ切って、この世の終りが来たかと思われる日照地獄が来たのだ。雨乞(あまごい)という雨乞はしつくしてしまって、ただうらめしそうに、空を眺める人々の顔からは、血の気が引いてしまっていた。唯一つ残された救の道、それだけが僅(わず)かに人々の慰めであった。それは恐ろしいことだった。
龍門(りゅうもん)山脈の端か、紀の川に突き出た所には、すり鉢を伏せたような山があり、その山には大きな龍が住んでいると言われていた。
山の上の「からと」の石をのけると、龍が昇天して雲や風をよび、雨を降らすといわれていた。この石をのける。これが残されたたった一つの道であった。しかしこれはむつかしいことだ。
「からと」の近くに行くと、恐ろしい毒気(どくけ)に当って死んでしまうと言われていた。それに山のきこりも避けて通り、誰も話に聞くだけで「からと」を見た人もなかったのだ。空飛ぶ鳥でさえ、近づくと落ちると信ぜられている魔所(ましょ)である。
そんな恐ろしいところへいって、石をとりのけることが今はただ、頼みの綱となっているのだ。しかし誰も行くという者がなかった。恐ろしい伝説が、人々の心の中にしみわたっていたのである。
この頃麓(ふもと)の河原に、いつの頃からか一人の僧が住んでいた。あぶなげな柱を組んで、形ばかりの草屋根をふいて、時たま通りがかりの村人が低い読経(どきょう)の声を聞くだけで、浮世を外に暮している、わけありそうな僧であった。
人々のため息が、そこここに聞かれるようになった或宵(あるよい)のこと、僧の姿はあたりに見られなくなった。それは誰も知らぬことだった。
それから間もなくの夜のことである。むし暑い流れるような汗が、ねっとりとしみ出して、寝苦しい村人はあまりの息苦しさに外に出て見た。
外は、そよとの風もない。死んだようによどんだ空気は夜中だというのに、まだ生あたたかい。
何かあるようないやな夜だった。おそわれるような夜だった。降るように光る星が刺すような光を投げている。
ふと、一人が南を指して大声で叫び出した。すり鉢山に誰かが登って行くようだ。たいまつをかざして行くのか、小さな赤い火が右や左に揺れている。ぱちぱち火の粉を散らして、見る間に上る。上る。
星明りの下に、しんしんとして物音一つしない。かたづをのんだ人々は、しばらくはまるで、夢の中の絵を見やうな心持だった。頂上に近づいたらしい。木のしげみの闇にかくれて見えなくなった。
「あれ……」「あれ……」声も終らぬ中に、「ゴー」「ザー」地鳴りと、一陣の風。「からと」のあたりが、見る見る黒く塗りつぶされてしまった。合なりあった雲が何重にも何重にも、山の姿を包んだ。
吹き倒されそうな風で、地につっぷしてしまった村人は、たしかに龍の昇天を見た。しかも口には火を吐いた、絵で見た龍の物凄(ものすご)い昇天の姿と同じものを……。
たちまちにして待ち兼ねた雨降りだ。夜中から降り出した雨は、村も流さんばかりの勢で……。しかも大粒の雨が、三日、三晩続けざまに降った。

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