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和歌山県の民話

うばが滝とかくし田

出典:吉備町誌下巻

発行:吉備町

田角(たずみ)の在所(ざいしょ)をのぼりつめた辺り、道の右側にこんもり茂った森がある。道から鳥居をくぐって降りていくとうばが滝の滝つぼがあり、清らかな滝が緑の茂みの中に落ちている。滝つぼのそばの小さな岡の上に国常立(くにとこたち)の命(みこと)とうばを祭った祠(ほこら)がある。下からは見えないが滝口から上に台地が広がり水田が続いている、昔からここを「かくし田」といって九町歩(九ヘクタール)もあったといい現在でも水田八町歩ある在所の穀倉地帯である。このかくし田にまつわる姥(うば)の悲しい伝説が今に伝えられている。
滝への下り口から少し上って左へ、大賀畑(おおかはた)への道を五〇メートル余り行った道端に祠がある。ここに一人の姥(うば)が住んでいた。名主の母とも、尼僧であったとも、四国さぬきの剣豪、田宮坊太郎の姥(うば)とも言われるだけで素姓(すじょう)は、はっきりしない。ある年のこと 検地(けんち)の役人がやってきて
「このあたりから上には田がないか」。
と姥に尋ねた。姥は、
「ここは山のてん、田はありません」
と言いきったので役人はそのまま帰っていったという。
当時田角は平地が少なかったので人々は営々(えいえい)として山すそを開きわずかの土地をも耕していたが課せられる年貢(ねんぐ)は重かった。
姥の計らいで検地を逃れた在所の人々はその「かくし田」でほんとうにいきをしたのであった。それから幾年が過ぎた。ある年(とし)検見(けみ)の役人がまたやって来た。滝つぼで一息していると上からわらすべが流れ落ちてきた。役人は目ざとくそれを見つけて
「さては この水かみに田があるのか。ふしぎなことだ」
と滝の上へ登っていくと、そこには美しい田が広がっていた。役人は、かの姥を責め、怒りのあまり打首にしてしまったという。姥は重い年貢に苦しむ里人の暮らしを守るため尊い犠牲になったのである。人々は悲しみのうちにその霊を祭り、姥の屋敷跡にも祠を立てて永く里の守りと感謝を捧げてきた。

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