橋杭(はしぐい)岩
出典:熊野古道大辺路の民話
発行:和歌山県西牟婁振興局
昔々、弘法大師(こうぼうだいし)と天(あま)の邪鬼(じゃく)(人の邪魔ばかりする悪者)が熊野地方を旅して串本までやって来ました。大島の人々が不便でたいそう困っているのを聞いた弘法大師は、「人に見られないように一晩の内に海に橋を架(か)けてやろう」と思い、天の邪鬼にも手伝ってもらうことにしました。しかし、天の邪鬼はいつも人の反対ばかりする上、偉い弘法大師には引け目を感じていましたので、何とかして弘法大師を困らせたいと思っていました。
夜になると、いよいよ二人は橋をかけ始めました。天の邪鬼はふだんから働いたことがなかったので、すぐ疲れてきました。それであまり手伝おうとしませんでした。いっぽう、弘法大師は山から何万貫(がん)もある大きな岩を担(かつ)いできてひょいと海中に立ててどんどん橋杭を立てていきました。「この調子で橋を作ると朝までには立派な橋ができ上ってしまう。何とか邪魔をする方法はないものだろうか」と天の邪鬼は考えました。そこで弘法大師が人に見られぬように夜のうちに橋をかけてしまいたい」と言っていたのを思い出して鼻をつまんで「コケコッコー夜が明ける~」と鶏(にわとり)の鳴きまねをしました。弘法大師は「まだ夜が明けるはずはない」と耳を疑いましたが、もう一度天の邪鬼が「コケコッコー」と鳴きまねをすると夜が明けてしまったと勘違(かんちが)いしてあわてて工事を止めてしまいました。それで今でも橋杭岩は海の中ほどまでしか続いていません。この珍しい岩は、大正十三年に国の天然記念物に指定されました。