一つ(ひとつ)たたら
出典:熊野古道大辺路の民話
発行:和歌山県西牟婁振興局
むかし那智(なち)の奥山に、「一つたたら」という怪物(かいぶつ)があらわれました。身の丈(たけ)約九メートル、目がひとつ手も足も一本、疾風(しっぷう)のように現れ、民家を襲(おそ)い、那智山一帯の死活(しかつ)問題となりました。
腕に自信のある何人かの武士が、怪物退治(たいじ)に山へ入りましたが、帰ってきた者はありませんでした。噂(うわさ)では、身体は岩石のようで矢もはね返し、力も無双(むそう)であるということです。
あるとき、樫原(かしはら)の善兵衛さんの家に刑部(ぎょうぶ)という落武者(おちむしゃ)らしい若者が滞在(たいざい)していました。偉丈夫(いじょうふ)で人情も厚く、学問、武芸(ぶげい)に秀(ひい)でていました。
刑部は、村人たちの困惑(こんわく)を見かねて、怪物退治を申し出て、善兵衛さんを道案内に、まず那智権現(ごんげん)に祈りを込めて奥山へ入りました。山に入って四日目、にわかに西の空から轟音(ごうおん)が起こり、噂(うわさ)のとおりの怪物が刑部たちを襲って来ました。刑部は、あわてず弓を引き絞り、怪物の皿のような大きなひとつの目に狙いを定め、一矢にして射抜きました。
刑部には、この功労(こうろう)により、那智山から寺山三千町歩(ちょうぶ)と金百貫(かん)、本宮からも金百貫が贈られましたが、刑部は色川郷(いろかわごう)十八ヵ村に寄付して、村人から大いに感謝されました。
やがて、刑部、刈場刑部左衛門(かりばぎょうぶざえもん)は、色川の守り神として祀(まつ)られ、その神社は樫原(かしはら)にあります。
この話は、永享(えいきょう)七年(一四三五)、室町時代の出来事で、刑部は平家の一族と言い伝えられています。