和泉式部の供養塔
出典:紀州民話の旅
発行:和歌山県
なだらかな茶畑がひろがる丘陵地。その一段高いところに、伏拝(ふしおがみ)王子の祠。そして、かたわらには、笠塔婆の上に宝篋印塔の塔身とフタを積み上げた、一風変わった石碑もある。平安中期、熊野へ詣でた和泉式部の供養塔という。
都からはるばるやってきた式部は、最後の休けい地「神向山」に着くころ、月の障りとなった。けがれた身での参拝はできない―と、ここから熊野を伏し拝んだ式部だったが、その夜の夢枕に現われた熊野権現の「もろともに 塵にまじわる神なれば 月の障りも何か苦しき」とのお告げで、無事、参ることができたというのが、そのお話。
伏拝の地名も、ここから起ったのだというが、これは時宗の念仏聖たちが「熊野権現は女人の不浄をも嫌わない、広大無辺な神」だという思想を広めるため、有名な式部をかつぎ出したのだ―とする説が強いようだ。