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和歌山県の民話

                 和歌山工業高等専門学校名誉教授 吉川壽洋

1 昔話の語り出しと語り納め


 昔話には、その土地土地によって、独特の語り出しや語り納めの形式を持つことが多い。ところが、和歌山県の場合、その語り出しが存在しない場合が多く、あったとしても、一般的な「むかし」「むかしむかし」、あるいは「とんとむかし」「おんごむかし」以外に、特別なものは余り存在しない。語り納め、つまり結末句にしても、「言うたていうわ」「というたという話や」「と言うんじゃと」とか「あったんやとお」「いうことやったとお」で終るものがほとんどである。その理由は稲田浩二氏が『紀伊半島の昔話』で指摘するように「昔話と世間話との区別意識の稀薄さに由来するもの」と考えられる。ただ語り納めの言葉として、日高郡と有田郡の一部で「猿の尻ギンガリコ」という表現が行われているのは特徴的で、「ギンガリコ」とは蘇鉄(そてつ)の赤い実のことである。猿の尻がまっ赤であるのとギンガリコがまっ赤であること及び両者の形態が共通していることから行われた表現で、言葉の意味するところははっきりしないが、あるいは「これまで語ってきたことはまっ赤な嘘である」とでもいうのであろうか。

  和歌山県は気候温暖の地であるため、冬季も一部の地域を除いて厳寒に見舞われることが少なく、従って火鉢を用いる程度で囲炉裏(いろり)を使用する所が少ない。囲炉裏をかこんで老人から民話を聞くという機会には恵まれていない。そのため一人の老人が子供に語って聞かせるための民話を数多く準備する必要にもさほど迫られていなかったようである。ただし、ほとんど例外的ともいうべきものに、山小屋での生活の無聊(ぶりょう)を慰める必要から山小屋での協同生活の中で伝え聞いた頓智(とんち)話を男たちが里へ持ち帰って伝えたというケースがある。北山村や本宮町で採集された「佐渡のサンジロウ話」という頓智話がそれである。三重県熊野市の佐渡に源(みなもと)を発する民話らしく、佐渡にはサンジロウ藪まで残る。

 サンジロウ話には、「鴉(からす)と雉子(きじ)」のように、鳥取県の佐治谷(さじたに)話に含まれる「雉烏(きじからす)」と全く同じものや北海道を除く日本全国に広く分布している愚か聟(むこ)話の代表的な一つである「団子聟(だんごむこ)」譚(たん)  とほとんど同一内容のものがあり、その他の頓智話にしても吉四六(きっちょむ)話や彦市(ひこいち)話、泰作(たいさく)話などに見られるものとその趣向が特別変っているわけではない。しかし、和歌山県においてもこうした頓智話が存在したことは大変興味深いことがらである。

2 昔話・世間話

 ※昔話は、普通、本格昔話・動物昔話・笑話の三種に区分される。特に本格昔話は、主人公を中心に種々の事件が展開する物語であり、主人公の誕生から成長して困難をみごとに克服、事業を達成して、財宝を手に入れ、ハッピーエンドに至る成功談を一代記風に語るのが、もともとの形であったと考えられている。

  世間話は、話し手が自由にものを言うところに特色があり、独特の語りの調子を持つ昔話とは、その点で異なっている。世間における見聞が、特定の地名や人名をともなって実際経験や事実のように話されるものである。

  〈参考文献〉大塚民俗学会編『日本民俗事典』(弘文堂)

 和歌山県の民話中に占める本格的な昔話の数は決して多くはない。本格昔話が世間話や伝説に較べて採集された数がきわめて少ないということである。しかし、世間話や伝説の中に時々に本格昔話の話型が顔を出すことがあり、時間の経過とともに本格昔話の持つ典型的な型がくずれて行き、それと同時にその語り始めや結びの句もだんだんと姿を消して行ったのであろうと考えられる。その結果、元来は昔話であったものにその土地固有の地名であったり人名であったりが付加されて行くようになった例も多く、一見伝説のように思われるものの、実はそのもとが昔話であったと判断されるケースも少なくない。

 例えば、東牟婁郡古座川町の「漆淵(うるしぶち)の龍」の話は、同町池ノ口の漆淵にまつわる話で、固有の地名にまつわる伝説めいた話のように見えるが、実は昔話の中の漆とりの兄弟の争い話であるとみられる。

 次に本格昔話のいくつかを紹介する。日高郡中津村(現日高川町)で採集された「山姥(やまんば)と桶屋」の話は、古座川町では「榊とクモ」の話として伝承されていて、山姥と魚売りの若者の話となっている。これは飯を食わずによく働く嫁を探していた男の許へその条件にぴったりの嫁があらわれることから話が始まる。「牛方(うしかた)山姥」と一般に呼ばれる本格昔話(逃走譚)に属するものである。西日本では主人公は牛方ではなく馬子(まご)であったり魚売りであったりすることが多い。同じ古座川町で採集されたものでもタイトルが「馬子と山姥」となっているものがあり、そのほうは主人公が馬子になっている。

 中津村の「芋掘り長者」の話は、有田郡広川町でも伝承されているものである。有田郡の津木(つぎ)の奥の岩淵(いわぶち)に芋源(いもげん)という男が住んでいて、山芋を掘っては町に持って行き、いろいろな物と交換して暮らしを立てていた。この男の所に鴻池(こうのいけ)家から縁付きの薄かった娘が嫁いで来た。ある日、男が町に出掛けて日用品を仕入れて来るというので、嫁が小判(こばん)を出してやると、男は「こんなものやったら、わしが芋を掘んに行く所へ行ったら、いくらでも出て来る」と言ったので、嫁は驚き、小判の価値を教えて、男と連れだって行ってみると、男が芋を掘った辺りにたくさんの小判が散らばっていた。それを拾い集めて、俵に詰めて持ち帰ったのが、後に鴻池家が大財産家になるもとだという。

 また、本宮町や花園村で採集された「コンニャク風呂」の話は、毎晩もらい風呂にやって来る男がいて、決して風呂桶の中に灰汁(あく)を入れないようにと言ってから風呂に入るのだったが、ある時入れるなという灰汁を桶に入れておいたところ、風呂桶一杯のコンニャクになってしまっていたという話である。

 これらはいずれも話の内容がきちんとしたまとまりを持っていて、その他の断片的にしか昔話の姿をとどめていないものとは違っている。むしろ和歌山県にあっては珍しい例である。この他に、形式的に整ったものとしては、「京の蛙(かえる)大阪の蛙」の話を京の蛙のかわりに紀州の蛙に替えただけのもの、のどにささった骨を抜いてもらった「狼の恩返し」、水にうつった自分の姿に見ほれて、病気の母親に頼まれて汲みに行った水を運んでくるのがおくれ、水を運んで来た時には母親が既に死んでしまっていたという「ミズヒョウロ」(アカショウビン)の話、その鳴き声から発想された「ホトトギスの兄弟」、「干支(えと)の話」、「長い話」(「果(はて)なし話」)や「短い話」などをあげることが出来る。

 一方、昔話とは違って、世間話は数多い。すさみ町や美浜町のような海岸部の町では、「海坊主」とか「船幽霊」と呼ばれる幽霊譚が伝えられている。航海中の船の舳先(へさき)に、海坊主が立って「杓子(しゃくし)貸してくれ」という。この時、必ず杓(しゃく)の底を抜いてから渡すようにしないと、海坊主が潮を汲んで船に潮を入れ沈没させられてしまうのである。「人魂(ひとだま)」を見たという話も多い。狸や狐にだまされた話も県下一円にあり、和歌山市では有名な淡路の柴右衛門狸(しばえもんだぬき)の話が聞かれる。桃山町の場合は狸でなく狐に化かされた話が多かったが、その他の所では狐も狸もさかんに人をだましている。蛋白質源(たんぱくしつげん)が不足していた頃は狐にだまされることが多かったようだ。狐が若い娘に化ける時には、川や池の藻(も)を頭にかぶるという所作(しょさ)をするのが共通してみられて面白い。

 天狗の松とか天狗の遊び場という言葉とともに、天狗がいろいろとわるさをすることも伝えられていて愉快である。急に空腹になって、一歩も動けなくなる「ダル、ダリ、ダニ、ダレ」につかれる話は、高野や花園村、桃山町から龍神村、本宮町にいたるまで広く分布していて、ヒダル神にとりつかれたのだと説明される。ダル(ダリ)につかれた時のために、ワッパ(弁当箱)には必ず御飯(ごはん)を一粒でも残しておくようにといわれたという。また、残りの飯粒が全くなかった時には掌(てのひら)に米の字を書いてなめるようにするといいといわれているのも県下に共通している。

 牛鬼(うしおに)や「たてかえって来る」といわれる歩行の仕方に特色のあるツチノコ蛇のことも語り伝えられているが、最も人気があると言えば語弊があるが、県下どの地にあっても多くの人々に記憶されているのが河童(かっぱ)の話である。河童はガタロ、ガタロウ、ゴウラ、ゴウライボシなどとさまざまな異称を持つ。河童は冬になって山にかえって行くと一般に言われており、その時の名前はカシャンボとかガシャンボとかいわれる。カシャンボは相撲を取るのを好む。

 「河童駒引き」という言葉が示すように、河童は川岸で遊んでいる馬を川中に引き込むという挙(きょ)に出ることが多い。しかし、和歌山県下では、馬を引き込む例はきわめて少なく、牛を引き込もうとして、逆に牛に引っ張りあげられてしまったというケースが多く見られる。捕らえられた河童が許してもらったお礼として教えた薬(奈良県大塔村辻堂の金創膏(きんそうこう)など)まで伝わっている。つかまった河童が人間に約束する条件がどの場合も類似していて、例えば「煎った豆に芽が生え出るまで出て来ない」ようにと約束させられるのである。

 世間話にはまた大力や大食の話もあり、かつらぎ町や九度山町に伝えられている毛原のミョウガやすさみ町の天狗次郎兵衛という力持ちの話はことに有名である。

3 伝説

 伝説は特定の場所と結びついて語られており、半ば土地の人々に信じられているところに特色がある。どこの市町村にも何らかの特徴を持った場所があるため、大抵(たいてい)の所にいくつかの伝説が存在する。

 県下の伝説の中で、かなり大きなスケールを持ちロマンにも彩(いろど)られた説話として、多くの人々に知られているものに、道成寺(どうじょうじ)にまつわる安珍清姫(あんちんきよひめ)の物語や同じく道成寺の草創に関する説話である髪長姫(かみながひめ)(宮子姫)(みやこひめ)の物語があり、一遍上人(いっぺんしょうにん)の時宗(じしゅう)の徒(と)によってひろめられたと考えられている小栗判官照手姫(おぐりはんがんてるてひめ)の物語がある。安珍清姫伝説には、熊野街道沿いの地に清姫の腰掛石(こしかけいし)や草履塚(ぞうりづか)があったり、蛇塚(へびづか)があったりするし、小栗判官照手姫の伝承には、小栗判官の車塚(くるまづか)、力石(ちからいし)、まかずの稲などが現存する。武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)にまつわるものなら、弁慶産湯(うぶゆ)の釜や腰掛石があったり、弁慶松(べんけいまつ)まで存在した。

 他にも、岩出町(いわでちょう)(現岩出市)の「室家(むろけ)の桂姫(かつらひめ)」、貴志川町(きしがわちょう)の「国主淵(くにしぶち)の生き面」のこと、橋本市(はしもとし)恋野(こいの)や有田市(ありだし)糸我(いとが)の「中将姫(ちゅうじょうひめ)」伝説、高野(こうや)の「石童丸(いしどうまる)」、古座川町(こざがわちょう)の「少女峰(しょうじょほう)物語」、新宮市(しんぐうし)の「美少女おいの」など、物語性に富んだものがあまたある。平維盛(たいらのこれもり)にまつわる平家落人(おちうど)伝説も興味深い。平家落人伝説は木地師(きじし)の運んだ伝承といわれている。

 無数に存在するのが、観音堂(かんのんどう)や地蔵堂(じぞうどう)、妙見堂(みょうけんどう)などの由来譚(ゆらいたん)であり、弘法井戸のこと、弘法大師が食物を所望(しょもう)したのに与えられなかったためにその後不都合が生じた話(「虫栗」「くわずいも」「渋いやまもも」)である。これとよく似た話で、かなり色濃く分布しているものに、大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)にまつわる「餅搗(つ)かぬ村」の話がある。

 また、狩場刑部左衛門(かりばぎょうぶざえもん)が一本タタラを退治した話は、那智に多い鉱山及び鉱山師に深いかかわりを持つ伝承であり、逸することの出来ない伝説の一つである。

 この他にも、大蛇の話や大人(おおびと)の足跡、温泉の由来に関する伝説、地名伝説など拾い上げていくと、その数は驚くばかりである。

〈参考文献〉

和歌山県民話の会編「きのくに民話叢書」(1~7)(和歌山県民話の会)

徳山静子編『紀州の民話』(未来社)

中津芳太郎編『紀州日高地方の民話』(御坊文化財研究会)

稲田浩二監修『紀伊半島の昔話』(日本放送出版協会)

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