海南市/お蔭参り
音源:昭和56・57年 和歌山県民謡緊急調査
黒江塗りと呼ばれる伝統産業の漆器製造は、室町時代から始まったと言われている。この唄は盆踊り唄である。
歌詞
千早ふる
神の恵みも げに有難や
諸国諸島の其の果て迄も
お陰お陰と 皆賑わしく
笠やらしませ 行李や杓や
背なに多田や 伊太祈曽前を
ついでながらに ぬかづきてェェ
日の長山を 早や打ち越えて
人の気質も 色々ござる
心丸栖や 安楽川の
節もぬけたか 竹房の
お蔭さんなら 無銭で渡す
是れも 天照大神宮の
恵みも深き 粉河寺
高野辻から 手を引きおうて
若い娘さんの 穴伏川へ
はまるまいぞや 丸木橋
これこれ申し 皆さんェェ
ほんに私は お蔭でぬけた
銭と言うたら 一文も持たず
それに笠田と 言いかけられて
なんぎな人に大谷や
妙寺すぐ出て 名倉の宿に
御蔭施行の 宿ある程に
それ行きやれと 言い捨て置いて
走る橋本 早や駆けぬけて
暗がり坂を やみ無性
わしとお前と合せ 饅頭の名物買うて
連れと待乳のさんざいや
大和巡りは さて大群衆
人のたえ間も 無き当麻寺
中将姫は 百陀の蓮で
織りあらわせし 大曼陀羅を
拝み済んだら 気も清光寺
これはすなわち 中将姫の
蓮の糸をば 一つ糸で
五色にそめし 染井寺
やれしんどやと 腰折り掛けて
尻をくさらす だるま寺
世に名も高き 法隆寺
親子の縁が 見たいなら
尋ねてここに 小泉の
郡山をばあと 西の京
奈良は昔の 都と聞いて
何円堂から 大仏参り
すぎし昔を 数えて見れば
頃は文正十三年の
二月堂から 三笠の山へ
早う春日に行て 興福寺
サット見たなら 比の土地を
猿沢池の 町筋ぬけて
帯を任直す 帯解けの道
市の本には 人丸の宮
さすが大和路 名所も多し
梶原寺の比処は 又ヨイヤサ
昔男の 古跡とあらば
心急いで よそめに三輪の
明神様の 御神体
杉の林の 御山をおがみ
早や行く 長谷の大門前や
恋の願なら 比の寺へェ
今宵一夜は こもりもの
初世参りで 早や 又ここに
立つ気も知らぬ 近道を
人を便りに あとから急げば
急げ歩めと 追いかけられて
早や椿原の 比の立石は
左は青越え 右の方は
お伊勢参りの本街道よ
入り日夕日で まだ赤羽根の
村をすぐ出て 田口の宿で
アア名に聞くさえも 恐ろしや
馬もころげる 蔵取坂で
小石ふみわけ 大石の
不動明坂なる 接待茶屋で
施行茶粥を つるつると
鶴の渡しを 静かに渡り
アア名に聞くさえも 恐ろしや
馬もころげる 蔵取坂で
これがやさしき 桜が峠 が
つづら折りなる 細道を
しんどしんどと 人々はヨイヤサ
アア岩坂峠 小石原
音に聞えし 見坂必坂折ち越えて
辛き息やら にがきの宿で
小石踏みわけ