1931年(昭和6年)~1984年(昭和59年)
和歌山市 生まれ
郷土 和歌山をテーマに名作を残した作家
幼少の頃、父の転勤により東京・インドネシアに移り住む。昭和20年、和歌山に疎開し、県立和歌山高等女学校に通うが、このときの体験が、のちの小説家、有吉に大きな影響を与えることになる。昭和27年、東京女子短期大学部英語科卒業。在学中に、雑誌「演劇界」の「懸賞俳優論」に入選し、昭和28年、同人雑誌「白痴群」、翌年、村上兵衛、三浦朱門、曾野綾子、阪田寛夫らのいる第15次「新思潮」の同人となる。昭和31年、「地唄」が芥川賞候補となり文壇に登場。翌年には、「白い扇」が直木賞候補となる。昭和33年、新作浄瑠璃「ほむら」で芸術祭文部大臣賞を受賞。ちょうどこの頃、「才女」という流行語が生まれ、有吉はその代表のように取り上げられるが、彼女はそれをあまり好まない様子であった。
郷土和歌山を題材にした『紀ノ川』を執筆後、演劇を学ぶため、昭和34年、ニューヨークのサラ・ローレンス・カレッジへ留学。翌年、朝日新聞社の特派員としてローマ・オリンピックを取材、次第に海外に目を向けていくようになる。以後、中国、カンボジア、インドネシア、ニューギニアを回り、数々の作品を手がけながら、紀州を舞台にした『助左衛門四代記』、『有田川』、『日高川』、『華岡青洲の妻』を続けて刊行。その他『海暗』、『出雲の阿国』、『恍惚の人』、『複合汚染』などを発表し、社会に大きな反響を呼ぶ。昭和56年には、「日本の島々、昔と今。」を執筆、最果ての小さい離島にたくましく生きる日本人を描く。海外と日本、和歌山に住む人々を見つめ続け、昭和59年、都内の自宅で急性心不全のため53歳の若さで急逝。