明治19年(1886)~昭和39年(1964)
田辺市生まれ
故郷の自然とその生命を描いた画家
明治19年(1886)、現在の田辺市に生まれる。和歌山県立田辺中学校を卒業し、明治38年(1905)洋画家を志望して上京、東京美術学校や白馬会研究所で学ぶが、ヨーロッパで学びたいという想いが高まり渡航を決意する。しかし、第一次世界大戦の最中で旅券は発行されず、学資も充分なものとは言えなかった。一時帰郷するが、渡航の決意は固く、大正6年(1917)シンガポールまでの旅券の交付を受けて出国、サイゴンから船員に雇われてフランスに入った。
パリにたどり着くが、戦争の影響でたちまち生活苦に陥る。画学校へ通えたのはごく短い期間で、以後は貧困のなか、フランス各地、イタリア、北アフリカを様々な仕事をしながら放浪する。途中マラリアにかかり、力尽きて病院に収容されるようなこともあった。友人の画家たちの支援でパリに戻り、大正10年(1921)帰国する。不本意な滞欧生活であったが、同じ時期に留学した画家たちやパリの画学生たちとの交流、美術館で接した巨匠たちの作品、そして生存の限界にあっても、なお描かずにはいられない自分自身を発見したことは、その後の芸術を形成する大きな要素となった。
帰国後は、郷里にもどり、近隣の風景や自画像、家族の肖像、バラを中心とした静物など身辺の自らが愛したものを主題として制作した。昭和15年(1940)二科展で岡田賞を受賞し、翌年会友に推挙される。戦後は、二科会の再建に加わらず、二紀会に同人として参加した。
原勝四郎は昭和39年(1964)78歳で亡くなったが、鮮やかな色彩で筆触の効果が充分に活かされた生気あふれる作品は、いまも多くの人々の心をとらえて離さない。