現在表示しているページ
ホーム > 紀の国の先人たち > 石垣 栄太郎

紀の国の先人たち

芸術家 石垣 栄太郎(いしがき えいたろう)

明治26年(1893)~昭和33年(1958)
太地町生まれ
アメリカに渡り社会派の画家として活躍

明治26年(1893)、東牟婁郡太地村(現:太地町)に生まれる。
明治42年(1909)新宮中学校在学中に父に呼ばれ渡米し、大正3年(1914)カリフォルニア州立美術学校で絵画制作を始めた。翌年ニューヨークへ移り、アート・ステューデンツ・リーグで学び、ジョン・スローンに師事する。また、この頃アメリカで知り合った片山潜らとともに、文芸雑誌『共存』を創刊するなど、社会主義運動に力を入れる。

大正14年(1925)、独立美術家協会展に出品した《鞭打つ》が高い評価を得る。ニューヨーク・タイムズは、「その反復される曲線と、振り下ろされる鋭角的な鞭とがアメリカのリズムを捉えている」と絶賛した。

昭和2年(1927)ジョン・リード・クラブ結成に参加し、メキシコの画家リベラ、オロスコ、タマヨらと交友を始め、また、昭和4年(1929)田中綾子と結婚した。昭和10年(1935)には念願であった壁画制作の機会を得てハーレム地区の裁判所に「アメリカの独立」と「奴隷解放」を主題に制作を始める。

昭和26年(1951)帰国し、岡本唐貴らの点々会に参加するが、昭和33年(1958)65歳で亡くなった。
妻の綾子は、社会評論家として女性の生き方を模索する評論活動を展開しながら、画家石垣栄太郎を日本に紹介、晩年には故郷太地町に私財を投じて石垣記念館を設立した。彼女の功績がなければ、今日の栄太郎に対する評価は大きく変わっていただろう。

(画像転載禁止)


このページのトップに戻る