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紀の国の先人たち

芸術家 神中 糸子(じんなか いとこ)

万延元年(1860)~昭和18年(1943)
和歌山市生まれ
日本の女流洋画家の先駆者

万延元年(1860)、海草郡雑賀村(現:和歌山市)に生まれる。本名はいと、糸子と号した。和歌山藩の洋学世話心得兼築城術教鞭方の父と同藩の御用絵師笹川遊泉の娘を母に持ち、洋画の道に進むには十分な環境にあったという。

明治11年(1876)、日本で最初にできた国立の美術学校である工部美術学校に入学、イタリアから招かれたフォンタネージに本格的な美術教育を受ける。フォンタネージが帰国した翌年の明治13年(1878)12月に同校を中退し、その後小山正太郎に師事する。

明治20年(1887)7月、小山たちが創設した「明治美術会」に入会し第1回展から出品、また、内国勧業博覧会、文部省美術展覧会等にも作品を発表する。
一方、明治女学校、日本女子美術学校、東京女子高等師範学校で教鞭をとり、後進の指導にもあたった。
55歳の時に神戸に移り、大正11年(1922)に初めて個展を開く。個展は画壇引退記念のはずであったが、この後も絵は描いていたという。しかし、64歳で福岡へ移ってからは、ほとんど絵筆をとらなかった。絵が好きな姪に「教える以上は本格的に何処までもきびしくついて来なければ教えぬ」といった話が残っている。
女性として困難な環境の中で芸術を追究し、明治期の洋画壇で活躍、工学美術学校で同窓の聖像画家、山下りんとともに我が国女流洋画家の先駆者であった神中糸子は、昭和18年(1943)83歳で亡くなった。

(画像転載禁止)


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