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紀の国の先人たち

 

 河島 敬蔵(かわしま けいぞう)

 

安政6年(1859)~昭和10年(1935)
和歌山市生まれ
日本初のシェイクスピア劇翻訳者

安政6年(1859)、現在の和歌山市に生まれる。幼児より聡明で記憶力に富んでいたという。11歳で紀州藩学習館の漢学寮に学ぶ。明治6年(1873)大阪英和学舎のアメリカ人宣教師モリスの経営する普通英学正則科に入学。明治8年(1875)には、上京して立教学校(現:立教大学)で哲学、数学を専攻し、広く学識を深めていく。

明治15年(1882)大阪英和学舎の教授となる。教職のあい間に聖書や英語などの研究に打ち込んでいたある日、英和学舎の図書館で、偶然シェイクスピアの戯曲会葉を発見する。早速「ジュリアス・シーザー」から読みはじめたが、当時は本格的な英文学研究がほとんど行われていなかったため、注釈書もなく暗中模索の状態で悪戦苦闘を続けた。苦心の末やっとの思いで翻訳を完了した河島は、『欧州戯曲ジュリアスシーザルの劇』として、明治16年(1883)2月16日から31回にわたって日本立憲政党新聞(現:毎日新聞)に全部を掲載した。これこそわが国初の原本によるシェィクスピア劇の完全な逐語訳の完成であった。

帰郷後の明治18年(1885)、伊都郡の自助私学校で教鞭をとるかたわらシェイクスピア劇全集の翻訳に着手。全37篇中、悲劇9篇、史劇5篇、喜劇4篇、伝奇劇4篇を読破し、明治19年(1886)に大阪駿々堂から『沙吉比亜戯曲・羅馬盛衰鑑』を出版、また同年に我が国で初めてのロミオとジュリエットの翻訳『露妙樹利戯曲・春情浮世之夢』を和歌山の耕文舎から出版した。

また、多くの英語教材を執筆、「文部省検定済・中学校教科用書」として、『英会話教科書』『英作文初歩』『学生会話』などを出版。英語教師として面目躍如の活躍であった。

シェイクスピアの翻訳にかけては、坪内逍遙と双璧であった河島敬蔵は、昭和10年(1935)、76歳で亡くなった。

 

(画像転載禁止)


 

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