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紀の国の先人たち

備長炭製炭士 木下 伊吉(きのした いきち)

大正6年(1917)~平成11年(1999)
田辺市生まれ
紀州備長炭のブランド化に尽力

大正6年(1917)、西牟婁郡秋津川村(現:田辺市)に生まれる。兵役から復員後、村議会議員を務めた後、秋津川農協に勤務。木炭選任出荷主任として勤務する傍ら、製炭者を巡回し、良質な炭の生産や適切な選別、包装の指導などを献身的に行い、優良生産地の育成に尽力した。

戦後の高度経済成長のさなか、ガスなどの新しいエネルギーが普及し、炭の売れ行きが低下、価格は下落し産地は大きな打撃を受けた。このような状況に対処するため、昭和42年(1967)、伊吉らが中心となり「和歌山県木炭移出協議会」を設立、各産地の情報交換と連携を進め、安定価格による取引を図る一方、首都圏でのコマーシャル放映など備長炭のPRを積極的に行い、知名度の向上に努めた。また、昭和45年(1970)、備長炭の製炭技術の保存と後継者の育成を図るため、「紀州備長炭技術保存会」の結成に尽力。窯入れから窯出しまで一時も気が抜けず、炎や煙の様子を見守る熟練の技によって生み出される備長炭の製炭技術は、昭和49年(1974)に県の無形民俗文化財に指定された。

備長炭は高級燃料炭としての評価だけでなく、多孔質からくる浄化作用や吸湿作用、高ミネラル、アルカリ質などの性質を活用した様々な利用法が確立されている。昭和62年(1987)、硬質で叩くと金属音がする備長炭の特質を利用した「炭琴」という楽器を伊吉が発案。地域の特色が表れた楽器として親しまれている。

紀州備長炭の技術と伝統を後世に伝えるために奔走し、その地位と評価の確立に大きな足跡を残した木下伊吉は、平成11年(1999)、81歳で亡くなった。

(画像転載禁止)


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