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紀の国の先人たち

文学者 北山 谿太(きたやま けいた)

明治19年(1886)~昭和41年(1966)
有田川町生まれ
平安の王朝文学「源氏物語」の扉を開いた文学者

明治19年(1886)、鳥屋城村(現:有田川町)に生まれる。明治38年(1905)、和歌山県師範学校を卒業後小学校教員となり、その後有田高等女学校教諭を勤めた。

谿太は、源氏物語を読んでいくうちに、未だ誰も着手し得ない源氏物語の辞典づくりへと夢がふくらんでいったという。大正13年(1924)8月6日の日記には、「生涯の研究を源氏物語に定む」と刻み、講習会にあっても、「我が生涯をかけて必ずや源氏物語の辞典を完成させる」と、その熱き胸の内を披瀝している。

昭和7年(1932)に有田高等女学校を去ることを決意、上京して五十嵐力をはじめ専門家の門をたたき意見を求めるが、「難解な源氏物語をひとりで取組むことは到底無理。やめられた方がいいでしょう」との返答であった。

しかし、谿太の心は固く心血を注ぐこと10年を経た昭和17年(1942)に原稿が出来上がり、東京・冨山房より出版の運びとなったが、戦火激しさを増す折、物資不足で出版は中止となった。

しかしながら、来る日も来る日も推敲を重ね、13年と4ヶ月が経過した昭和32年(1957)、平凡社から「出版引き受けた」との電報がついに届き、日本で最初の「源氏物語」の辞典の誕生となった。

その後も、研究は続き「源氏物語新解釈」をはじめとして「源氏物語の新研究」「源氏物語の語法」「源氏物語とわたし」「源氏物語三つの疑義」など数多くの著作を発表している。

我が国が誇る11世紀初頭の紫式部が著した王朝文学「源氏物語」の粋を多様な角度から研究執筆し、鮮やかに描き出した北山谿太は、昭和41年(1966)、81歳で亡くなった。

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