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紀の国の先人たち

篤志家 松本 栄次郎(まつもと えいじろう )

1881年(明治14年)~1965年(昭和40年)
美浜町 生まれ
地曳網漁業の発展と防潮林保護育成に貢献

明治14年(1881)、吉原浦(現:美浜町)に生まれる。明治30年(1897)アメリカ大陸に渡り、カナダ、ユタ、カリフォルニアで漁師となる。52才で帰国し地元で漁業に従事、昭和7年(1932)、吉原浦漁業組合を創設し初代会長を務める。
栄次郎は、地曳網漁業従事者の人手不足を解消するために、砂浜を自由に動くネットローラーの開発に着手。最初はうまくいかなかったが、若き日の北米での経験を生かして工夫を重ね開発に成功、地曳網漁業の発展に貢献する。

また、煙樹ヶ浜防潮林の荒廃を憂え、昭和24年(1949)以来、私財を投じて煙樹ヶ浜に数万本の松の苗木を植え始める。子供の時から親しんできた松林が、台風がくるたびにひどく傷めつけられる姿に耐えらず、どうしても守らねばならないという思いからであった。村人にも機会あることに松林の歴史と大切さを訴えた。日照りが続いてもいいように赤土を多くしたり、村人たちの水やりの協力もあって、十年目にしてやっと白い砂浜が再び緑の松林に変わった。

しかし、昭和36年(1961)、第2室戸台風による高潮と風で約3000本の若木が砂の中に埋没してしまう。このとき、79歳という高齢であったにもかかわらず、初心を貫いて再び松苗を植え始める。
終生、防潮のために松の植栽育成に挑戦し続けた栄次郎は、昭和40年(1965)83歳で亡くなった。
翌年、防潮林の中に松林を見守るように頌徳碑が建立され、栄次郎の松林を愛し育てる心を今に伝えている。

(画像転載禁止)


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