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紀の国の先人たち

事業家 松下 幸之助(まつした こうのすけ)

1894年(明治27年)~1989年(平成元年)
和歌山市 生まれ
世界のパナソニック/松下電器産業㈱の創立者

明治27年(1894)、海草郡和佐村(現:和歌山市)に生まれる。父が事業に失敗、9歳で小学校を中退し、大阪へ丁稚奉公に行く。
15歳の時、大阪市内を走る市電を見て新しい時代の到来を感じ、大阪電灯の配線工となる。最年少で検査員に昇格するが、自ら考案した改良ソケットを事業化するために独立、大正7年(1918)、「松下電気器具製作所」を創立する。「改良アタッチメントプラグ」や「二股ソケット」が好評を博し、松下電器の礎を築く。

その後、ランプ、アイロン、ラジオと事業を拡大する中、事業の意義に思いを巡らす。昭和7年(1932)5月5日、全従業員を集め「世の中に生活必需品を豊富たらしめ、人々の生活の改善と向上を実現することに真の使命がある」との思いを披瀝し、この年を真の使命を知ったという意味で「創業命知元年」と定めた。

戦後、昭和20年代後半から30年代に「三種の神器」と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機など新しい家電製品を世に送り出して電化ブームを牽引する。海外へも積極的に展開し、「その国の発展に貢献する」という理念のもと、昭和34年(1959)のアメリカ松下電器を皮切りに次々と海外会社を設立し、日本企業のグローバル化の先駆けとなる。この間、昭和21年(1946)には幸福と繁栄を通じて平和を実現するため、PHP研究所を設立、昭和55年(1980)には21世紀のリーダーを育成するべく松下政経塾を開塾、さらに昭和57年(1982)に、日本国際賞の創設を目的とした「国際科学技術財団」を発足させる。

人類の繁栄と幸福を願い、企業人の枠を超えた社会活動にも尽力した幸之助は、平成元年(1989)、94歳で生涯を閉じた。

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