1880年(明治13年)~1973年(昭和48年)
すさみ町 生まれ
サンタマリアのレタス王
明治13年(1880)、西牟婁郡江住村(現:すさみ町)に生まれる。明治38年(1905)ハワイを経てサンフランシスコに上陸、その後、サンタマリア平原に入り、ガダループのユニオン精糖株式会社の農園で砂糖大根栽培に従事する。
大正6年(1917)に独立、レタス、カリフラワー、セロリの栽培に目をつけ、実直な性格もあって、事業を拡大していく。
昭和4年(1929)、南父子農業商会を設立、販路はシカゴやニューヨークにまで及んだ。特に、レタス栽培では、市場の情勢を見極めたうえで出荷し常に有利に取引が行われていたことから、弥右衛門は「サンタマリアのレタス王」と呼ばれるようになった。翌年には、日本から肥料、食料品、雑貨などを輸入するために南山田貿易商会を設立、その後、南加中央産業組合長として在米邦人の経済的発展に努め、また、米国中央日本人会会長として社会的事業にも貢献する。
また、弥右衛門は、郷里の発展を強く願い、小学校には学用品を、江住中学校には体育館建設費用を寄附している。
南父子農業商会は、昭和16年(1941)の日米開戦により事業が出来なくなるが、戦後、長男の弥太郎によりガダループのはずれで親日地主からの借地で農業を再開し、約10年で全米のほとんどの都市に出荷するまでになった。
在米移民の功労者であり、郷里に多大な貢献をした弥右衛門は、昭和48年(1973)、米国カリフォルニアにて93歳で亡くなった。
江住小学校には、郷土の偉人を称え、銅像が建立されている。