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紀の国の先人たち

数学者 岡 潔(おか きよし)

明治34年(1901)~昭和53年(1978)
橋本市出身
難問を解き明かした世界的数学者

明治34年(1901)、現在の大阪市に生まれる。4歳から紀見村(現:橋本市)の父の実家で育ち、粉河中学校時代に「クリフォードの定理」で数学に興味を持ち始める。

大正14年(1925)に京都帝国大学理学部を卒業、その後、同大学の助教授を勤めていたときに、フランスのパリにあるソルボンヌ大学に文部省(現:文部科学省)の海外研究員として留学した。そこで、生涯の研究分野を「多変数函数論」と心に決めて、昭和7年(1932)に帰国した。この研究は、「山にたとえれば、いかにも登りにくそうな山だと分かったので、敢えて登ろうとするようなものであった。」と後に語っている。

昭和9年(1934)、この分野に関する詳しい文献が載せられた本を入手、中心となる三つの問題が解決されていないことが分かり、この問題解決にとりかかる決意を固め研究を開始する。しかし、残されている問題だけに、手も足も出ないほど難しいものであった。

夜昼関係なく没頭した研究生活を送っていたある日の朝、いつものように椅子に腰を掛けていると、突然目の前にひらめきが起こって問題解決の第一着手である「上空移行の原理」を発見、その後、約20年を費やしてその理論の骨格を一人で完成した。

この研究の業績は、世界の数学界で高く評価され、昭和26年(1951)50歳という若さで「日本学士院賞」を、昭和35年(1960)には「文化勲章」を受章した。

世界の誰もが手に負えなかった難問を解き明かした岡潔は、昭和53年(1978)76歳で生涯の幕を閉じた。

(画像転載禁止)


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