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紀の国の先人たち

郷土生物研究家 尾崎 光之助(おざき みつのすけ)

明治32年(1899)~昭和43年(1968)
みなべ町生まれ
海洋生物学の発展に大きく寄与した郷土生物研究家

明治32年(1899)、現在のみなべ町に生まれる。大正4年(1915)に南部実業学校を卒業、その後農業に従事しながら独学で貝やカニなどの研究を始める。珍しいものを見つけては図鑑等で調べ、その結果をスケッチに残し、観察記録とともに標本を専門家の元に送り、その正体を明らかにしていった。

その中の一つに、オザキトガリカニムシの発見がある。これは、海岸の岩の間を住みかにする小さなクモの仲間で、天保4年(1833)紀州藩の博物学者小原桃洞が岩を食べて生きている「食岩虫」として報告して以来、どこからも発見されたことのない謎の虫とされていた。昭和13年(1938)にこれを発見、その標本がクモ学の第一人者の手に渡り、新種のカニムシと鑑定されオザキトガリカニムシと名付けられたが、論文発表はオーストリアのバイエル博士のほうが早かったために、学名はガリプス・ヤポニクス(Garypus japonicus Beier)、和名をイソカニムシという。

光之助は、サンゴやヒトデ、貝などの生物も積極的に集め、特にソフトコーラルの一種ミナベトサカは、学名をミナベア・オザキイ(Minabea ozakii Utinomi)といい、南部の地名と尾崎の名を冠したサンゴとして専門家の間では世界的に有名である。また、カニの研究では、キイコシマガニ、オザキヒシガニ、ヤマトオサチラ、ミナベケブカガニ、コウガイメナガガザミの5新種を発見、終生で記録したカニは、当時の700種中の半数以上に上っている。

尾崎を頼って全国から訪れた研究者も多く、紀伊南部沖が海洋生物の宝庫であることを明らかにすることに多大な貢献をした。

海洋生物学の発展に大きく寄与した尾崎光之助は、昭和43年(1968)69歳で亡くなった。

(画像転載禁止)


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