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紀の国の先人たち

事業家 小竹 岩楠(しの いわぐす)

明治7年(1874)~昭和8年(1933)
御坊市生まれ
古来の名湯白浜を一大温泉郷に開発

明治7年(1874)、日高郡島村(現:御坊市)の塩路家に生まれる。明治26年(1893)、御坊村(現:御坊市)の親戚小竹家の養子となる。明治27年(1894)、東京高等商業学校(現:一橋大学)に進学したが、病気のため退学。鎌倉円覚寺の門を叩き、約2年間精神修養につとめ、心身の健康を取り戻した後に故郷に戻り、兄弟と力を合わせながら実家の木材業の再興をはかり、これを成功させる。

明治43年(1910)には、「日高電灯会社」を設立、明治45年(1912)には「日の出紡績株式会社」設立にも注力。また、大正4年(1915)、日高川水力電気株式会社を設立し、中山路村(現:田辺市)の日高川に水力発電所を建設するなど、近代的な産業に意欲的に取り組み、同地域有数の事業家に成長した。

同じ頃、岩楠は「白良浜付近で新しい温泉の掘削が試みられたが、技術的に困難で失敗に終わった」との話題を耳にしたことをきっかけに、温泉を中心としたリゾート開発を計画する。大正7年(1918)、岩楠はその温泉掘削の権利を譲り受け、翌年に「白良浜土地建物株式会社」を設立。困難な海中温泉掘削を成功させ、大正10年(1921)には旅館「白浜館」を建設した。白浜温泉は日本三古湯の一つに数えられ、万葉集や日本書紀にも「紀温湯」「牟婁温湯」として登場、紀伊続風土記にも庶民の湯治で賑わう江戸時代の様子が記されているが、当時の温泉地は現在の湯崎地区に限られた範囲であった。今日見られる大規模な温泉郷としての白浜温泉は、岩楠の開発がきっかけで誕生し、発展してきたと言える。

岩楠は、白浜温泉の利便性と集客力を高めるために、交通網の整備が重要であると考え、大正11年(1922)には「紀勢自動車株式会社」を設立、また昭和5年(1930)には「明光バス株式会社」を設立し、併せて道路の整備や改修にも取り組んだ。

白浜温泉が一大温泉郷と発展する端緒を開いた小竹岩楠は、昭和8年(1933)、60歳で亡くなった。白浜町の常喜院には岩楠の銅像と顕彰碑が建てられている。

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