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紀の国の先人たち

事業家 杉山 金太郎(すぎやま きんたろう)

1875年(明治8年)~1973年(昭和48年)
和歌山市 生まれ
人材育成に努めた近代的製油工業の先駆者
(豊年製油(株)社長:現(株)J-オイルミルズ)

明治8年(1875)、海草郡川永村(現:和歌山市)に生まれる。明治27年(1894)、大阪商業学校(現:大阪市立大学)を卒業後、神戸の米国貿易商社に入社、大正6年(1917)、中外貿易会社を設立するも、第一次世界大戦の影響で解散。大正12年(1923)、関東大震災の復興のために設置された帝都復興院嘱託となり、復興資材の確保と供給に手腕を発揮する。
大正13年(1924)、豊年製油株式会社の社長に就任、自ら満州に出向いて大豆を買い付けるなど、当時台湾銀行の支配下にあった会社の更生に努める。

大正期後半頃まで食用油はナタネ油やゴマ油が主流であったが、大豆油の精製法を改良し、においや色味のよい「大豆白絞油」を生み出し、以来、大豆油はわが国で消費される食用油の大半を占めるようになった。また、搾油後の豆(脱脂大豆)に良質なタンパク質が約45%も残っていることに目をつけ、家畜の飼料や肥料、醤油をつくる技術を普及させるなど、「無から有を生み出す」ことを信念に会社を発展させる。 

また、昭和11年(1936)には、大豆の総合的研究を行うため全国から優れた研究員を集めて研究所を設立、昭和17年(1942)、財団法人杉山産業化学研究所に改組、現在に至っている。当時、一企業が独立した研究所を持つことは極めてまれで画期的なことであった。さらに、資源の少ない日本の将来の繁栄のためには人材の育成が肝要であるとの信念から私財を寄附して財団法人報公会を設立、育英資金を支給して人材の育成に努める。この中からノーベル賞受賞者の江崎玲於奈が誕生している。
近代的製油工業の先駆者として、今日の日本の製油工業の隆盛に大きな途を拓いた金太郎は、昭和48年(1973)、97歳で亡くなった。

(画像転載禁止)


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