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紀の国の先人たち

囲碁棋士 高川 格(たかがわ かく)

1915年(大正4年)~1986年(昭和61年)  
田辺市 生まれ
碁の神童、本因坊戦九連覇を達成した二十二世本因坊

6歳の頃、自宅で父が友人と碁を打っているのを見て、誰に教わることなく碁のルールを覚え、父と初めて対局、星目(九子局)ながら父に勝つ。田辺第一小学校に入学すると森島校長に囲碁を習い、めきめきと上達、互先(ハンデなし) でも父に勝つようになる。父は、こうした子どもの才能を開花させようとして、格が小学校4年生の時に東京の親戚の家に預け、日本棋院に通わせる。ここで当時の本因坊秀哉と星目で対局してもらう機会を得、中押(戦いの途中で相手が負けを認める)で勝利する。小学校5年生の時に大阪に移り、光原伊太郎六段に入門して本格的に棋士の道を歩み始め、大阪府立高津中学校に入学した年に入段(初段)する。

16歳で二段になるが、勉強に専念するため碁を捨て受験するも失敗。以後、碁のプロになることを決心して上京、赤坂に下宿して日本棋院大手合に参加する。この後から春期大手合と秋期大手合の時期は東京に、それ以外は大阪に住むようになる。昭和10年三段、14年五段、20年七段に昇段。昭和27年には橋本本因坊を破って第7期本因坊位を得て秀格と号する。以来、木谷、杉内、島村、藤沢ら強豪の挑戦を退け、9連覇の偉業を達成。昇竜のようなめざましい足跡を棋界に残した。

昭和39年日本棋院創立40周年式典において、「名誉本因坊」に推挙され、翌年十段位を獲得。昭和43年には、名人戦に勝利し、自ら唱えた50歳限界説を覆す53歳の名人就任となり、「不死鳥 高川」と評された。

昭和48年には、ヨーロッパに囲碁指導に赴き、60歳となった昭和50年には囲碁代表団団長として中国を訪問。今日世界60数カ国で愛好されている囲碁の国際化の礎を築いた。独特のバランス感覚で近代囲碁に新時代を開き、日本棋院理事、日本棋院棋士会会長も務めた。昭和61年に71歳で亡くなる。

平成10年、22世本因坊の称号を得る。

(画像転載禁止)


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