1913年(大正2年)~1996年(平成8年)
みなべ町 生まれ
ナショナル・トラスト運動の先駆者
大正2年(1913)、日高郡南部町(現:みなべ町)に生まれる。昭和12年(1937)、東京帝国大学(現:東京大学)卒業後、企業に就職するも健康を損ね、自然環境に恵まれた田辺市の天神崎の近くに移り住み、田辺高校の教諭となる。自宅から森の中を通って日和山山頂に登り、そこから天神崎の海岸へ向けた素晴らしい景観を満喫する中で、環境保護にも強い関心を持つようになる。
昭和49年(1974)、天神崎の海岸沿いの見晴らしの良い斜面に、高級別荘地を造成する計画があることを知る。森・磯・海が一体となって一つの安定した生態系を形づくっている天神崎の美しい自然を、子どもたちの学習と成長の場に残したいと「天神崎の自然を大切にする会」を結成する。この時、会の名称を「大切にする会」としたのは、「守る会」では敵がいることになり、この運動には敵があってはいけないという願いからであった。
大自然との触れ合いの場を守るには、土地を買い取る多額の費用が必要であった。そのため、会の役員や高等学校の先生などの協力を得て募金活動を展開するが、思うようには進まず、自分の財産や退職金だけではなく、自身の土地建物を抵当に銀行から借り入れを行うなど、筆舌に尽くしがたい苦労をする。
昭和59年(1984)、新聞、テレビ等で天神崎の買い取り保全運動が紹介され、日本中の注目を集め、全国から募金が集まる。昭和61年(1986)に「財団法人天神崎の自然を大切にする会」を設立、自然環境保全(ナショナル・トラスト)法人第1号に認定され、専務理事として買い取り地の管理や新たな募金による買い取りの継続を行う。平成5年(1993)に名誉会長となる。
天神崎の自然環境保全に努めた八郎は、平成8年(1996)、82歳で亡くなった。