現在表示しているページ
ホーム > 紀の国の先人たち > 土橋 房之助

紀の国の先人たち

事業家 土橋 房之助(つちはし ふさのすけ)

慶応3年(1867)~ 大正8年(1919)
御坊市生まれ
捺染技術の向上に尽くした紀州の捺染王

慶応3年(1867)、日高郡楠井村(現:御坊市)の植野家に生まれる。10歳の時に土橋家の養子となり、明治18年(1885)、和歌山の綿ネル業者達が開設した色染講習所の第1期講習生として入所、熱心に色染法を学ぶ。修了後、東京八王子の染色講習所に進み、3年間研究を続けた。25歳で和歌山に帰り捺染工場を設立、友禅模様を染める型紙を考案。当時としては画期的な方法で、その新鮮さにみな舌を巻いたという。明治26年(1893)、イタリアから輸入されたネルの巧妙な色染に刺激を受け、これに対抗できる捺染の発明を目指して研究に没頭する。苦心の末、生地の改良に成功するとともに凸型捺染機を発明。木製のローラー面に柄を彫って布の面に捺染するというこの方法は、生産効率の向上、生産費用の減少、品質の向上といった利点を備えた画期的なものであった。房之助は自らの発明を秘蔵せずに他にも親切に教えたので、紀州の捺染業は短期間に飛躍的な進歩を遂げ、地域の代表的な産業に育つこととなった。

明治32年(1899)、綿ネル業界の有力者達が発起して、先進国の業界事情の調査研究を行った際、房之助は派遣員に選ばれ欧米諸国を視察。当時世界の繊維工業の中心地であったマンチェスターで捺染機械の買い付けを行っている。

のちに房之助は京都に進出、弟の寅吉と協力して小幅捺染に力を注ぎ成功を収める。明治43年(1910)、再び和歌山に戻り捺染業に取り組み、明治45年(1912)には捺染業の組合を設立。名実ともに紀州の捺染王と呼ばれた。

大正8年(1919)、生涯を通して紀州捺染業の発展に尽くした土橋房之助は、53歳で亡くなった。

(画像転載禁止)


このページのトップに戻る