明治43年(1910)~昭和54年(1979)
白浜町在住
海洋生物の研究に生涯を捧げた生物学者
明治43年(1910)、現在の山口県周南市に生まれる。昭和4年(1929)、京都帝国大学理学部に入学し動物分類学を学ぶ。昭和9年(1934)白浜町にある同大学の瀬戸臨海実験所に就職、海洋無脊椎動物の研究に一貫して取り組み、京都大学教授・瀬戸臨海実験所所長を昭和48年(1973)に定年退職してからも、自宅で研究を続けた。フジツボとソフトコーラルの分類学で世界的な権威であった冨士夫は、それ以外にも、当時はまだほとんど知られていなかったさまざまな海洋無脊椎動物を次々に明らかにした。
昭和9年(1934)、日本がパラオ島(現パラオ共和国コロール島)に作った熱帯生物研究所へ第1期研究員として8ヶ月間派遣された。珊瑚礁に住むさまざまな熱帯性海洋無脊椎動物の研究は、その後の海洋生物の多様性を研究する上で大いに役立ったという。
昭和29年(1954)、出版社から原色海岸動物図鑑の執筆依頼が寄せられた。海の動物は、陸に上げるとすぐに色や姿が変わってしまうものが多いため、スキューバダイビングや水中写真の普及していない当時にあって大変困難な依頼であったが、海には陸上とは比較にならない多様な動物がすんでいることを多くの人々に伝えたいという強い気持ちからこれを引き受け、昭和31年(1956)に「原色日本海岸動物図鑑」を出版した。この図鑑は、原生動物から脊索動物までの主要な動物群を網羅した日本で初めての本格的でしかもわかりやすい原色図鑑であり、50年を経た現在でも全国の図書館や学校におかれており、多くの人々に利用されている。
また、生物同好会としては会員数が全国最大規模の「南紀生物同好会」の創設にも深く関わり、後進の育成にも努めた内海冨士夫は、昭和54年(1979)69歳で亡くなった。
※海洋無脊椎動物:海にすむ動物のうち、背骨のある魚や鯨以外の全ての動物