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紀の国の先人たち

スポーツ振興功労者 和田 勇(わだ いさむ)

1907年(明治40年)~2001年(平成13年)
幼年期 御坊市育ち
東京にオリンピックを招致した日系二世の実業家

アメリカワシントン州ベリングハムで、日系二世(フレッド・イサム・ワダ)として生まれる。4歳の時、和歌山の祖父母のもとで暮らし、9歳で再び米国へ戻る。その後、シアトル郊外の農園に住み込み、牛乳配達や雑役夫をしながら学校に通う。17歳の時、農作物の小売りチェーン店に移り、一年で店長に抜擢され、さらに商売を大きく発展させる。

昭和8年、和歌山県日高郡美浜町出身の帰米二世の田端正子と結婚、昭和16 年には、日系食料品店約70軒の小売商からなる協同組合の理事長に就任する。

戦時中は、日系人追放令による強制収容に反発して、近隣市民とユタ州へ集団移住。荒れ地を開拓して農園を経営する。戦後は、ロサンゼルスに移って青果店を開き、持ち前の才覚と働きぶりで、店を17店舗に増やす。

昭和24年、日本水泳連盟が国際水泳連盟に復帰加盟し、日本人の全米水泳大会出場が実現、自宅を提供して日本人選手を支える。

昭和34年、岸首相から米国日系人でただひとり東京オリンピック準備招致委員会委員に選ばれる。日本政府に代わり、自費でヨーロッパや中南米の国際オリンピック委員を訪問、東京オリンピック昭和39年開催実現の協力を要請して各国を巡り、開催に大きく貢献する。

昭和59年、日系社会福祉財団を組織、看護施設、老人ホームの建設など、日系社会のために我が身を捧げた人物として、吉川英治文化賞を受賞する。

平成8年、国際オリンピック委員会より、近代オリンピック開催百周年を記念して、「日本のオリンピックの顔」に選ばれ「IOCトロフィ」が贈られる。平成13年、ロサンゼルス市内の病院で亡くなる。平成16年、御坊市初の名誉市民となる。

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