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紀の国の先人たち

事業家 由良 守応(ゆら もりまさ)

1827年(文政10年)~1894年(明治27年)
由良町生まれ 
二階建ての馬車を走らせた時代の先駆者

文政10年(1827)、門前村(現:由良町)に生まれる。子供の頃から馬好きで、馬小屋で寝たりすることもあった。
守応は、菊池海荘にかわいがられ、武術や漢学を学び、また、後藤象二郎、伊藤博文、陸奥宗光らと交流、これが縁となり、明治元年(1926)、大阪府勧農課に入り、次いで内務省勧農局に転任する。

明治4年(1871)、岩倉具視の欧米使節団に参加、英国で二輪馬車や四輪馬車、オムンボスという二階建ての乗合馬車を見て、馬車に魅せられた日々を送り、日本でも走らせたいと夢を持つ。特に、荘厳と走る女王の馬車を見て、同じものを天皇の御召馬車として購入するように使節団会計係の田中光顕に熱弁を振るって嘆願し、実現させる。
明治6年(1873)、帰国後、御召馬車の手綱をとる皇宮御馬車係となり、英国以来の夢が叶う。ところが、皇后・皇太后を乗せた馬車が転覆し、その責任をとって辞任する。

明治7年(1874)、乗合馬車会社「千里軒」を開業、東京浅草から新橋間に日本で初めて二階建ての馬車を走らす。このオムンボスの勇姿に、東京の人々は歓声をあげて喜ぶ。しかし、同業者の増加や鉄道等の発達により、明治13年(1880)、営業に終止符を打つ。
その後、時代の先どりを行く発動機の製造会社を設立するが、うまく事は運ばず帰郷、明治27年(1894)、67歳で亡くなった。
由良町興国寺内には、守応の功績を称え、顕彰碑が建立されている。

(画像転載禁止)


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